ローヌ川の星月夜 / Starry Night Over the Rhône
アルル滞在時に描いたゴッホの星空シリーズ

『ローヌ川の星月夜』は、ゴッホが夜景に対して持っていた深い興味と情熱が込められた作品です。色彩や光の表現において、彼の独特の感性と技術が光っています。また、ゴッホが感じた「美」を表現するために、彼がどれほどのエネルギーを注いだかが伝わってきます。この絵は、ただの風景画ではなく、ゴッホが夜の世界に込めた感情や思いが感じられる、非常に個人的で深遠な作品なのです。
概要
作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ |
制作年 | 1888年 |
メディウム | 油彩、キャンバス |
サイズ | 72.5 cm × 92 cm |
コレクション | オルセー美術館 |
フィンセント・ファン・ゴッホが1888年に描いた『ローヌ川の星月夜』は、夜の静寂と光の幻想が美しく調和した作品です。縦72.5cm × 横92cmの油彩画で、現在パリのオルセー美術館に所蔵されています。
この作品は、ゴッホがフランスのアルルという町で過ごしていた時期に制作されたもので、夜の風景をテーマにしています。ゴッホはアルルに移住した後、夜空の美しさや夜の街の灯りに強い関心を持ち、夜の風景を何度も描いています。『ローヌ川の星月夜』もその一つで、特に川の水面に映る星やガス灯の光が印象的な作品です。
ゴッホがアルルに移り住んだのは1888年2月のこと。この地に来てから彼は夜景に強い関心を抱くようになり、弟テオへの手紙にも「夜景を描きたい」と記しています。そして9月、彼はローヌ川沿いの堤防に立ち、夜空と水面が織りなす光景を描きました。
この作品でゴッホが描いたのは、アルルの町を流れるローヌ川の夜景です。絵の中心には川が広がり、その水面に星やガス灯が反射しています。この作品を夜の暗がりの中で制作しています。ガス灯の明かりを頼りに筆を走らせました。夜空にはおおぐま座が輝き、アクアマリンの空に淡い緑とピンクの光が漂っています。水面はロイヤルブルーで、そこに映る街の光は青銅色から小豆色の金へと変化し、幻想的な輝きを放っています。
地面には神秘的なモーブ色が使われ、街並みは青と紫の陰影に包まれています。ガス灯の光はけばけばしいほどの金色で、それが水面へと反射し、星々の控えめな輝きと人工の光の強烈なコントラストを生み出しています。
前景には、川沿いを歩く恋人たちが描かれています。この人物たちはゴッホが描く典型的な「色彩を重視した絵画」において、重要な役割を果たしており、情感を高めています。恋人たちが描かれることで、絵に親しみや温かさが加わり、冷たい夜空と明るいガス灯の中にひとときの温もりを感じさせているのです。
ゴッホが求め続けた「平穏」と「美」の世界が、この作品には宿っています。同時期に描かれた『夜のカフェテラス』、翌年制作された『星月夜』と並び、本作はゴッホが追い求めた夜の輝きを象徴する一枚です。
重要ポイント
- ゴッホが夜景に魅了され、アルルで描いた作品
- 幻想的な色彩と光のコントラスト
- ゴッホの「平穏」と「美」の追求
『星月夜』との違い
フィンセント・ファン・ゴッホの代表作である『星月夜』と『ローヌ川の星月夜』は、どちらも夜空を描いた作品ですが、その表現や背景には大きな違いがあります。静寂と光の美しさを描いた『ローヌ川の星月夜』と、激しく動きのある夜空を描いた『星月夜』は、対照的な作品といえるでしょう。
1:制作背景と描かれた場所
『ローヌ川の星月夜』(1888年)
場所: フランス・アルルのローヌ川沿い
制作時期: ゴッホが「黄色い家」に住んでいた時期で比較的平穏な精神
特徴: 実際の風景をスケッチして描写
『星月夜』(1889年)
場所: フランス・サン=レミの精神療養院から見た風景(想像を交えた描写)
制作時期: 精神的に不安定だった療養生活中
特徴: 現実と幻想が混ざり合った表現
2:色彩と雰囲気
『ローヌ川の星月夜』
穏やかで静寂な夜の雰囲気
青と紫を基調に、ガス灯の黄色が水面に映り込む幻想的な光景
夜のロマンチックな美しさを強調(前景に寄り添うカップル)
『星月夜』
激しく渦巻くような星空と動きのある筆致
濃い青と黄色の強烈なコントラスト
精神的な高揚や不安を感じさせる表現
どこで描かれた風景か
この風景は、ローヌ川の東岸(水辺通り)から西側を望んだものです。ローヌ川は北から南へと流れていますが、アルルの岩がちな地形にぶつかる地点で大きく西へ曲がります。ゴッホが描いたのは、ちょうど川の流れがアルルに差しかかり、迂回する地点の風景です。
ゴッホが描いたこの場所は、1888年当時と現在で大きな変化はないものの、川岸の形状はかなり変わっているといわれています。背景には橋が架かり、水面にはゴッホの絵と同じように街灯の明かりや星座が映り込んでいます。


ゴッホは、自身にとって親しみがあり意味のある場所をよく描く傾向がありました。よく比較される『星月夜』は、1889年に彼が精神病院に入院していた際、病室の窓から見える風景をもとに描かれた作品です。
一方、『星月夜』がある種の狂気の発症直前に生まれたのに対し、『ローヌ川の星月夜』は、ゴッホが比較的楽観的だったアルル時代に制作されました。この時期の代表作には、明るく力強い色彩が特徴的な『ひまわり』もあります。
制作動機
アルルに到着して以来、ゴッホは「夜の効果」の表現に常に心を奪われていました。1888年4月、ゴッホは弟のテオに宛てた手紙の中で「糸杉のある星空、あるいは熟した麦畑の上の星空が見たい」と書いています。
6月には画家のエミール・ベルナールに「でも、この頭から離れない星空は、一体いつ描けばいいんだろう」と打ち明けています。
『ローヌ河の星月夜』の夜景は、ゴッホが手紙の中で語っていた「果てしない暗闇の純粋に感動的な体験」から生まれました。ゴッホはその手紙で「一度、夜の人気のない海岸を散歩したことがある。陽気でもなく、悲しくもなく、美しかった」と述べています。
ゴッホは、これまでのように星々を科学的に、そして平凡に扱う実証主義的な見方に異議を唱えていました。彼は、既知の領域に存在する単なる物体として星を扱うことに対して深い嫌悪感を抱いていました。この反感の背景には、ゴッホの宗教的衝動が再び表れているのが見て取れます。
実際の風景を描いた作品
ゴッホは弟テオに宛てた手紙の中で、この作品の構図について説明しています。
「小さなスケッチをもとに夜、実際にガス灯の下で描いた星空だ。空はアクアマリン、水面はロイヤルブルー、地面はモーヴ。町並みは青と紫に染まり、ガス灯は黄色く輝いている。その光の反射は、ラセットゴールドからグリーンブロンズへと移ろい、水面に幻想的な輝きを与えている。また、空には大熊座が輝き、緑とピンクのかすかな光がガス灯の鋭い金色と対照をなしている。そして前景には、カラフルな恋人たちの姿がある。」
実際には、この絵に描かれた風景は、北に輝く大熊座を背にしていることになります。また、前景の部分は、最初に描かれた状態が完成するとすぐに、ウェット・イン・ウェットの技法を用いて勢いよく修正された形跡が見られます。
ゴッホが手紙に添えたスケッチは、おそらく最初のオリジナルの構図に基づいたものであり、その後の修正によって現在の姿へと変化したと考えられます。
この絵画のもとになるスケッチは、1888年10月2日に友人のウジェーヌ・ボックへ宛てた手紙に同封されています。

色彩を使った表現を重視した
夜景を描くという挑戦はゴッホの関心でした。『ローヌ川の星月夜』の制作のために彼が選んだ見晴らしのよい場所は、アルルのガス灯がローヌ河の青くきらめく水面に反射する様子を捉えるのに絶好の場所でした。
色彩を表現することは、フィンセントにとって非常に重要なことでした。兄のテオに宛てた手紙の中で、彼はしばしば絵画の中の対象を色彩で表現しています。本作品をはじめとする夜の絵は、夜空のきらめく色彩と、当時はまだ珍しかった人工的な照明をとらえることを重要視していたことを物語っています
妹のウィルヘルミナに宛てた手紙では、「今、星空をぜひ描きたい。夜は昼よりも色彩が豊かで、最も濃い紫、青、緑に彩られているように思えることが多い。よく見ると、レモン色の星もあれば、ピンク、緑、青、ワスレナグサのような光を持つ星もあることがわかる。これ以上こだわる必要はないが、星空を描くには、青黒に白い点を付けるだけでは十分ではないことは明らかだ」と書いています。
耳を切り落とす前の作品
この作品が完成した約1か月後、ゴッホの仲間であるポール・ゴーギャンがゴッホのアルルにある「黄色い家」に引っ越してきました。二人は多くの絵を共に描いたものの、しばしば飲酒や激しい口論を繰り返しました。芸術に関する意見の違いや個人的な問題が原因で、彼らの関係は次第に険悪になっていきました。
1888年12月23日、ついにその口論がエスカレートし、ゴッホは衝動的にナイフで自らの左耳の一部を切り落としました。ゴッホはその耳を新聞紙に包み、近くの売春宿の従業員に差し出したと言われています。
翌日、ゴーギャンが通報したことにより警察がゴッホを発見。ゴーギャンはすぐにアルルを去り、二人はその後二度と会うことはありませんでした。その後、アルルの住民30人が署名した嘆願書により、ゴッホは精神的な治療を受けるべきだとされ、精神病院に収容されることとなります。
1889年3月、アルル市長はゴッホを市立病院に収容するよう命じましたが、ゴッホはそこで絵を描き続けました。その後、彼はアルルを去り、サン・レミ・ド・プロヴァンス近郊の精神病院で治療を受け、ここで現在ニューヨーク近代美術館に所蔵されている『星月夜』を描きました。
●1888年
2月: ゴッホ、フランスのアルルに移住。この時期から夜景に興味を持ち、夜空やガス灯の光を描こうとする。
9月: 『ローヌ川の星月夜』を制作。この作品は、アルル滞在中にローヌ川を見ながらガス灯や星空を描いたもの。
10月: ゴッホがアルルで『黄色い家』に住みながら、ポール・ゴーギャンと共同制作を開始。多くの作品を生み出す。
12月: ゴーギャンとの激しい口論の末、ゴッホが左耳の一部を切り落とす事件が発生。ゴーギャンはアルルを去り、ゴッホは精神的な問題から入院することになる。
●1889年
1月: ゴッホが精神的な問題を抱え、アルルでの生活から精神病院に収容される。
3月: ゴッホはアルル市立病院に入院。その後も絵を描き続け、『星月夜』を制作。この作品は病院の窓から見える風景を基に描かれた。
5月: ゴッホはサン・レミ・ド・プロヴァンス近郊の精神病院に移り、その後も絵を描き続ける。

■参考文献
・Starry Night Over the Rhône - Wikipedia
・https://www.theguardian.com/artanddesign/article/2024/jun/01/vincent-van-gogh-starry-night-over-the-rhone-arles-exhibition、2025年2月8日アクセス
・https://www.musee-orsay.fr/en/artworks/la-nuit-etoilee-78696、2025年2月18日アクセス