女性シュルレアリスト / Women Surrealists
概要
1920年代初頭に始まったシュルレアリスム運動に関わった女性の行動的な参加者たちを、女性シュルレアリストと呼びます。彼女たちの功績は、様々な作品や記録に封印され、今日に至るまで多くの人々の知られざる存在であり続けています。本記事では、シュルレアリスム運動に関わった女性シュルレアリストを紹介し、彼女たちの功績を讃えることを目的としています。
画家
・エミー・ブリッジウォーター(1906-1999)
イギリスの画家で詩人。バーミンガムやロンドンを中心に活動。コロニー・マドック、ジョン・メルヴィルを含むバーミンガム・シュルレアリスム・グループとともに展覧会に参加。その後、イギリス・シュルレアリスム・グループと出会う。
・レオノーラ・キャリントン(1917-2011)
イギリス生まれのシュルレアリスム画家。1937年にマックス・エルンストと出会い、ともに痛みを伴う複雑な関係を築く。作品の大半は自伝的である。エルンストが敵国人として収容されたあと、神経症を患い、病院へ収容される。戦後はメキシコで活躍する。
・レオノール・フィニ(1907-1966)
ブエノスアイレス生まれ、トリエステ育ち。1936年にシュルレアリストと出会うが、グループに参加はしなかったが、シュルレアリストの展覧会に参加。スフィンクスや幽霊の絵が特徴であり、何十匹という猫と暮らしていた。
・ヴァランティーヌ・ユゴー(1887-1968)
フランスの画家、イラストレーター。1930年から1936年までシュルレアリスム運動に参加していた。ヴィクトル・ユゴーの孫ジャン・ユゴーと結婚。夫ともにコクトーの「エッフェル塔の夫妻」(1921年)をはじめバレエのデザインをする。
・ケイ・セージ(1898-1963)
アメリカ人画家。1930年代後半から風景画を中心活動していたシュルレアリスト。1937年に、サロン・デ・シュルアンデパンダンに展示した、たった一枚の絵がシュルレアリストたちから注目されう。1940年にタンギーと結婚。
・ドロテア・タニング(1910-2012)
アメリカ人画家。エルンストの妻。「幻想芸術、ダダ、シュルレアリスム」展で画家としての未来を決定した。戦後、フランスに移住して活動する。後期は抽象的な独自の絵画スタイルに移行。エルンスト死後は、ニューヨークに戻り活動する。
・トワイヤン(1902-1980)
チェコの画家。イラストレーター。1922年ユーゴスラビアでインドリッヒ・シュティルスキーと出会い、チェコ・アヴァンギャルドのメンバーに。1928年ころからシュルレアリスムへ移行し、プラハ・シュルレアリスム・グループを創立。
・ブリジット・ベイト・ティチェナー(1917-1990)
パリ生まれイギリス育ちのメキシコ人画家。マジカル・リアリズムの作家でもある。
・レメディオス・バロ(1908-1963)
スペイン人画家。のちにメキシコへ移動。静かで夢のような幻想絵画で知られる。数学や機械的なドローイング、機関車などにも興味を抱く。詩人ペンジャミン・ペレに出会い、1930年代後半にシュルレアリスムのサークルの中で活動する。
・ガートルード・アバクロンビー(1909-1977)
シュルレアリスムに影響を受けたアメリカ人画家。1930年代と40年代に活躍。またジャズミュージック・シーンにも含まれディジー・ガレスピーの友人でもある。
・マーガレット・モディリン(1927-1998)
アメリカのシュルレアリスム画家、彫刻家、写真家。
・アリス・ラオン(1904-1987)
フランスとメキシコで活動した詩人、画家。ウォルフガング・パーレンと結婚、1930年代後期のシュルレアリストたちと活動する。のちにメキシコへ活動拠点を移動、彼女の作品はメキシコの抽象表現に影響を与えた。
彫刻家
スイス人彫刻家。アルベルト・ジャコメッティやハンス・アルプによってシュルレアリストたちに紹介される。1937年までにシュルレアリストの会合や展覧会に参加。また、マン・レイのモデルを務める。
写真家
フランス人写真家、画家。1930年代中頃から写真を始める。1934年〜37年の間にシュルレアリストたちと交際し、個展を行う。ピカソの愛人で「泣く女」のモデル。戦後、精神的失調に陥り、シュルレアリストたちの関係を断つ。
アメリカ人写真家。1929〜32年の間、マン・レイとともに働き、1932年にニューヨークで自分の写真スタジオをオープン。翌年、ジュリアン・レヴィ・ギャラリーにて最初の個展。戦後は写真を断念、関心を料理に移す。
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