バレンタイン・ユゴー / Valentine Hugo
運動に短期間参加した女性シュルレアリスト
概要
バレンタイン・ユゴー(1887年-1968年)はフランスの画家、イラストレーター、舞台装飾家。
彼女はブローニュ=シュル=メールのプロのピアニスト、バレンタイン・グロスの娘として生まれ、パリで死去。
バレンタインは1907年にパリの美術学校で絵を学び、1919年にヴィクトル・ユゴーのひ孫であるフランス人画家ジャン・ユゴー(1894年-1984年)と結婚。
彼女はジャンとともに「エッフェル塔の花嫁花婿」(1921年)のバレエ・デザインのコラボレーションを行ったり、1926年にはジャン・コクトーによる「ロミオとジュリエット」のための24枚の木版画を制作している。のちにジャン・ユゴーとは離婚するが、ユゴーの姓を名乗り続けた。
バレンタインは1928年ごろにシュルレアリストたちと出会い、1930年から1936年にかけてシュルレアリスム運動に積極的に参加している。1931年に正式にシュルレアリスムの一員となり、シュルレアリスム研究所に参加し、アンドレ・ブルトンやポール・エリュアールらとの「優雅な死体」表現でのコラボレーション作品を制作している。
《記号演算を持つオブジェクト》(1931年)などの超現実オブジェを制作し、1933年にピエール画廊で開催された「国際シュルレアリスム展」に出品する。
1936年のニューヨーク近代美術館での展示をはじめ、彼女の作品はおもにグループ展を通じて展示されている。1943年、ユゴーの作品はペギー・グッゲンハイムがニューヨークの今世紀芸術ギャラリーで開催した『31人の女性画家たちによる展覧会』で作品を展示されている。
彼女のシュルレアリスム作品は当時、おもにドローイング作品で知られていた。暗い背景に細い線と豊富な装飾的な渦巻きが重ねて構成された作風が特徴的である。
詩人で作家のルネ・クルヴェルが1935年に自殺すると、バレンタインは悲しみに暮れ、それ以降、シュルレアリスム運動で彼女の役割は小さくなり、トリスタン・ツァラやポール・エリュアールが去ると、彼女も最終的にシュルレアリスムグループと縁を切る。
シュルレアリスム運動後は、ポール・エリュアールと長く親交を結び、彼の作品の挿絵を描き続けた。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Valentine_Hugo 2019年1月13日アクセス
・【書籍】シュルレアリスム辞典 ディディエ・オッタンジェ
■画像引用