カテゴリ:エゴン・シーレ



【作品解説】エゴン・シーレ「膝を曲げて座る女」
作品解説 · 10日 1月 2023
《膝を曲げて座る女》は、1917年にエゴン・シーレによって制作された作品。紙に水彩、ガッシュ、黒のクレヨンを使っている。描かれているのシーレの妻エディットである。 限られた色彩と背景の空白、シャープでエッジの効いた線で描かれている。ほかの多くのシーレ作品と同様に、従来の美の表現を覆し、醜くゆがんだ感覚と官能的でエロティックな美学を融合させた独特のスタイルが使われている。
【作品解説】エゴン・シーレ「ひまわり」
作品解説 · 10日 1月 2023
《ひまわり》は、1911年にエゴン・シーレによって制作された作品。アルベルティーナ美術館に所蔵されている。 シーレがひまわりをモチーフに選んだのは、ゴッホやクリムトの先例にならったものであることは間違いない。 ゴッホのひまわりは、20世紀初頭にウィーンで初めて展示されて以来、人気を博していた。1906年にミートケ画廊で開催されたゴッホ展の直後、クリムトはひまわりの絵を2点描き、いずれも1908年にウィーンで開催された大規模な「クンストシャウ」(美術展)で展示している。

【作品解説】エゴン・シーレ「縞模様のドレスを着たエディス」
作品解説 · 10日 1月 2023
《縞模様のドレスを着たエディス》は、1915年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。妻エディスを描いている。これまでのヌード画と異なり、膝の上で両手を握り締めた控えめな座りポーズが特徴である 印象的な黒と白の縞模様のドレスは、身体のほとんどを覆い隠し、オリーブのセーターは髪の色合いに似ている。 襟元のポップな赤が彼女の唇と頬の赤みを際立たせ、淡いブルーの瞳とのコントラストを成している。
【作品解説】エゴン・シーレ「ホオズキと自画像」
作品解説 · 09日 1月 2023
《ホオズキと自画像》は、1912年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。レオポルド美術館に所蔵されている。 この自画像は、シーレ作品の中で最も人気のある作品のひとつであり、2023年東京都美術館で開催されたエゴン・シーレ展のメインビジュアルとして採用されている。本作はシーレが22歳、数多くの展覧会に参加していた時期に描かれたものである。 横長の画面にを押し込め、胸から下と髪を切り取っている。目線は下目使いで、頭は右を向いている。この反対のパターン、目線は上目使いで、顔は左を向いているも多くある。

【作品解説】エゴン・シーレ「エディスの肖像」
作品解説 · 09日 1月 2023
《エディスの肖像》は、 1915年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。デン・ハーグ市美術館に所蔵されている。 描かれているのはエゴン・シーレの婚約者エディトである。エディス・ハルムスは、シーレのアトリエの向かい側に住んでいた中産階級の鍵屋の娘だった。 1914年、シーレは彼と長く交際していたウォーリーと親密な関係にあったにも関わらず、向かいに住んでいるエディトと恋愛関係を持ちはじめ、ついには婚約にいたる。1915年6月17日、25歳でエディトと正式に結婚した。 エディスの描き方はこれまでのシーレ独特の暗み、歪み、上目遣いの女性とは明らかに異なる。エディトは正面を向き、人形のように明るく微笑んでいる。シーレのアトリエのカーテンから作られたストライプのドレスを身に着け、腕をだらりと下げたエディスは、人間味に欠ける。 婚姻期間は、わずか3年間しか続かなかった。離婚したのではなく、エディスは1918年10月28日、妊娠六か月のときにスペインかぜで死亡した。シーレもその3日後に、28歳で同じ病気のため死亡した。
【作品解説】エゴン・シーレ「死と乙女」
作品解説 · 09日 1月 2023
《死と乙女》は、1915年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。ウィーンのベルヴェデーレ・ギャラリーが所蔵している。シーレは当初「男と女」または「絡み合う人々」と名付けていた。 シーレにとって生涯のテーマであった「死」と「エロティシズム」を結びつけ、一体化させた非常に個人的な作品で、死と乙女の対比というルネサンス期のモチーフが使われている。

【作品解説】エゴン・シーレ「ウォーリーの肖像」
作品解説 · 09日 1月 2023
《ウォーリーの肖像》は、1912年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。1911年、シーレが21歳のときに出会った17歳の女性ワルブルガ・ノイジル(ウォーリー)で肖像である。 ウォーリーは数年間、シーレの恋人でありモデルとなり、シーレの最も印象的な絵画の多くに描かれている。 この絵は、1954年にルドルフ・レオポルドが所有していたが、オーストリア政府がレオポルド美術館を設立した際に、レオポルドが所有していた5000点を購入し、そのコレクションの一部となった。
【作品解説】エゴン・シーレ「家族」
作品解説 · 08日 1月 2023
《家族》は、1918年10月31日にエゴン・シーレがスペイン風邪で亡くなる直前に描いた最後の油絵。未完作品。作品は152.5cm×162.5cmで、ウィーンのベルヴェデーレ・ギャラリーが所蔵している。 エディス・シーレは、1918年10月28日、妊娠6ヶ月でスペイン風邪にかかり、子供は助からず、シーレ自身も3日後に同じ病気で亡くなった。

【美術解説】エゴン・シーレ「オーストリア表現主義の代表格」
アーティスト一覧 · 08日 1月 2023
エゴン・シーレは、20世紀初頭の絵画界に大きな影響を与えた人物で、クリムトの弟子でもある。極端にねじれた体型や表情豊かな線など、彼の特徴的なスタイルを鮮やかに表現した自画像は、美術史上高く評価されています。また、彼の作品は、"ジョジョの奇妙な冒険 "の作者をはじめ、多くのアーティストに大きな影響を与えています。今回は、エゴン・シーレの生涯と作品について、より深く書いていこうと思います。このユニークな芸術家について、もっと知りたくなりましたか?もしそうなら、ぜひ読んでみてください。
【美術解説】ウィーン分離派「オーストリアに集まった異端美術家たち」
美術用語 · 05日 1月 2023
ウィーン分離派は1897年にオーストリアの芸術家たちによって創設された芸術運動。画家、彫刻家、建築家たちから構成される。初代理事長はグスタフ・クリムトとルドルフ・フォン・アルトで、彼らは名誉会長となった。ウィーン分離派が発行していた公式雑誌は『Ver Sacrum』という。 ウィーン分離派は1897年4月3日にグスタフ・クリムト、コロマン・モーザー、ヨーゼフ・ホフマン、ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ、マックス・クルツヴァイル、ヴィルヘルム・ベルナツクをはじめ多数の芸術家によって創設された。 のちに参加した芸術家にエゴン・シーレ、オスカー・ココシュカがいる。オットー・ワーグナーはウィーン分離派の重要メンバーとして見なされることがあるが、創設メンバーではない。先行していたベルリンやミュンヘンの分離運動に続いて創設されたもので、1898年に第一回分離派展を開催している。