カテゴリ:エコール・ド・パリ



13日 2月 2020
ジュール・モデルカイ・ピンカス(1885年3月31日-1930年6月5日)はブルガリアの画家。一般的に「パスキン」、もしくは「モンパルナスの王子」と呼ばれている。のち、アメリカ市民となる。 モンパルナスの芸術界隈と関連した活動が多く、エコール・ド・パリの代表的な画家の一人として認知されている。パスキンのおもな主題は女性で、カジュアルなポーズで描かれ、通常はヌードか部分的に着衣している。 パスキンはウィーンとミュンヘンで教育を受け、アメリカ滞在時は、多くの時間を南部で過ごした。うつ病とアルコール依存症に苦しみ、45歳で自殺。
12日 2月 2020
「エコール・ド・パリ」は、第一次「エコール・ド・パリ」は、20世紀前半にパリで活動していた芸術界隈の総称だが、当時パリに滞在して活動していた非フランス人芸術家たちの総称として使われるケースが一般的である。1900年から1940年まではパリがアート・ワールドの中心地で、世界中から芸術家が集まっていたため「パリの学校(エコール・ド・パリ)」と呼ばれた。英語では「スクール・オブ・パリ」と呼ばれる。 エコール・ド・パリは、芸術運動を指す言葉ではなく、学校のような芸術機関でもない。日本語に訳せば“パリ派”が近いが、実際は“派”というほどのまとまりも、明確な主義主張もあるわけでもなく、シュルレアリスムや未来派のような「宣言」を出してもいない。 エコール・ド・パリとは、モンマルトルやモンパルナスに集まってきた芸術関係者たちの緩やかなネットワークで、カフェ、サロン、アトリエ、ギャラリーの集積地だった。

18日 1月 2018
アルベール・グレーズ(1881年12月8日-1953年6月23日)は、フランスの画家、理論家、哲学者。自称キュビズムの創設者。グレーズは、ジャン・メッツァンジェとともに1912年にキュビスムの理論書『キュビスムについて』を著し、セクションドールのメンバーとして活動する。エコール・ド・パリシーンの形成にも影響を与えている。 オランダの前衛運動デ・ステイルのメンバーとしても活動しており、彼の理論書の多くはフランスよりも隣国のドイツで評価を高め、のちのバウハウスの創設に、グレーズの理論は多大な影響を与えている。 グレーズは1915年から1918年にかけて、ニューヨークに移住して4年の重要な年月を過ごしている。この時期にアメリカの近代美術の創設にも重要な役割を演じ、ニューヨークを基盤にして活動していたアメリカの芸術家連盟「独立芸術家協会」の会員としても活躍した。 1920年代半ばから1930年代にかけて、彼のエネルギーの多くは、絵画制作よりも著作活動に多く注がれる。1923年『絵画と法律』、1932年『塑性意識に向けて 形と歴史』、1937年『ホモセントリズム』などが代表的な著作物である
13日 1月 2018
レオナール・ツグハル・フジタ(藤田嗣治 1886年11月27日-1968年1月29日)は、日系フランス画家。日本画の技術と西洋絵画を融合させ、エコール・ド・パリのメンバーとして活躍し「20世紀初頭の西洋において最も重要な日本人芸術家」として評価されている。1930年にニューヨークで出版した20枚のエッチング版画を収録した『猫の本』は、過去に出版された猫に関する本で最も人気があり、現在は希少本とされている。

29日 12月 2017
イタリアのユダヤ系画家モディリアー二関する情報をまとめたページです。赤いヌードやポートレイトで知られています。
【美術解説】マルク・シャガール「20世紀最大のユダヤ人前衛芸術家」
アーティスト一覧 · 22日 11月 2017
マルク・シャガールの生涯と作品について興味がある方は、この記事をご覧ください。この記事では、シャガールの前衛芸術運動への関わり、彼のスタイルとその要素、そしてナチス政権からどのように扱われたかを見ていきます。さらに、戦後、再び脚光を浴びることになった彼の作品についてお話しします。20世紀を代表するユダヤ人画家について、ぜひご一読ください。

05日 5月 2017
マリー・ローランサン(1883年10月31日-1956年7月8日9はフランスの画家。セクション・ドールやピカソ、ブラックと関わりのあるキュビストとしてパリ前衛芸術シーンの重要な画家として評価されている。 ソニア・ドローネーやマリー・ボロビーフ、フランシスカ・クラウゼンと並んで女性キュビストの一人として知られる。初期作風は、特にジョルジュ・ブラックやパブロ・ピカソが大きな影響を受けている。 パステル調のカラーや曲線的な形態の女性的な芸術の追求をしていくうちに、キュビスムの作風に合わなくなりグループから脱退。その後は、独特な抽象絵画をともなった女性ポートレイトや女性グループの注文絵画を描き、エコール・ド・パリの女流画家として活躍。死ぬまでフェミニンをテーマにした作品制作を探求した。 いわさきちひろの絵と似ているが、いわさきの画家活動の原点が彼女である。
03日 2月 2017
「7本指の自画像」は、1912年から13年にかけてマルク・シャガールによって制作された油彩作品。シャガールがロシアから前衛芸術の中心地パリへ移った直後に描かれた作品。パリという近代的な世界に身を置いている伝統的なユダヤ文化で育ったシャガールの複雑な心性を表現している。 シャガールの後ろにある窓からは、近代や都会を象徴するパリのエッフェル塔が見える。そのきらびやかなエッフェル塔に背くように、暗いこわばった表情のシャガールがキャンバスに描いているのは、ドリーミーでファンタジックな動物や自然の風景である。これは、彼が幼少の頃に育ったロシアの故郷ヴィーツェプスクの風景である。また、頭上の雲の中にも同じくヴィーツェプスクが描かれている。

03日 2月 2017
「誕生日」は、1915年にマルク・シャガールによって制作された油彩作品。80.5×99.5cm。ニューヨーク近代美術館が所蔵している。 描かれている男性はシャガール本人、女性は1908年にサンクトペテルブルグで会ったシャガールの最愛の妻ベラ・ローゼンフェルドである。この作品はベラと結婚する数週間前に制作されている。
03日 2月 2017
「私と村」は、1911年にマルク・シャガールによって制作された油彩作品。シャガールがパリに移った後に描かれた作品であり、現在はニューヨーク近代美術館が所蔵している。 本作品はおとぎ話に出てくるような夢のような農村の空間が、都会芸術の代表であるキュビスムの技法を使って、一続きで重なるように描かれているのが特徴である。 「私と村」というタイトルは、シャガールが生まれ育った村ヴィーツェプスクの記憶、ユダヤ教ハシド派コミュニティの記憶から付けられており、シャガールの幼少の頃のさまざまなイメージが統合されている。