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【作品解説】アメデオ・モディリアーニ「ポーレット・ジュルダンの肖像画」
作品解説 · 01日 11月 2023
『ポーレット・ジュルダンの肖像』は、アメデオ・モディリアーニが亡くなる前の1920年1月24日に制作した最後の傑作です。 この作品はキュビズムの影響を受けつつも、同時に『モナ・リザ』を参照し、アフリカ美術から古典絵画まで幅広い影響を巧みに取り入れ、彼独自の洗練されたビジョンを表現しています。 女性は、モディリアーニが使用した最も大きなキャンバスの1つに描かれており、堂々とした態度で鑑賞者の前に立っています。 描かれている女性は、ポーリン・“ポーレット”・ジュルダンといい、モディリアーニのディーラーだったレオポルド・ズボロウスキーの家政婦でした。
12日 2月 2020
「エコール・ド・パリ」は、第一次「エコール・ド・パリ」は、20世紀前半にパリで活動していた芸術界隈の総称だが、当時パリに滞在して活動していた非フランス人芸術家たちの総称として使われるケースが一般的である。1900年から1940年まではパリがアート・ワールドの中心地で、世界中から芸術家が集まっていたため「パリの学校(エコール・ド・パリ)」と呼ばれた。英語では「スクール・オブ・パリ」と呼ばれる。 エコール・ド・パリは、芸術運動を指す言葉ではなく、学校のような芸術機関でもない。日本語に訳せば“パリ派”が近いが、実際は“派”というほどのまとまりも、明確な主義主張もあるわけでもなく、シュルレアリスムや未来派のような「宣言」を出してもいない。 エコール・ド・パリとは、モンマルトルやモンパルナスに集まってきた芸術関係者たちの緩やかなネットワークで、カフェ、サロン、アトリエ、ギャラリーの集積地だった。

22日 3月 2018
ジャンヌ・エビュテルヌ(1898年4月6日-1920年1月25日)はフランスの画家、よく知られているのはアメデオ・モディリアーニのモデル、愛人。 エビュテルヌは、フランスのセーヌ=エ=マルヌ県モー群の敬虔なローマ・カトリック教の家族のもとで生まれた。父のアチール・カシミール・エビュテルヌはボン・マルシェ百貨店の従業員だった。 幼少の頃から美しかったエビュテルヌは、画家を志していた兄のアンドレ・エビュテルヌに、当時のパリの前衛芸術家たちが集まるモンパルナスの芸術コミュニティに紹介される。エビュテルヌはレオナード藤田をはじめ、さまざまなモンパルナスの芸術家たちのモデルを務めた。しかしながら、エビュテルヌ自身も芸術を探求したくなり、コラロシ芸術学校に入り、ドローイングを始めるようになる。
21日 3月 2018
《赤い肩掛けを着たジャンヌ・エビュテンヌ》は、1917年にアメディオ・モディリアーニによって制作された油彩作品。129.54 ×81.6 cm。プライベートコレクション。 本作品で描かれている女性は、モディリアー二の恋人のジャンヌ・エビュテンヌである。引き伸ばされた胴体と頭を遠慮がちに脇へ寄せて描かれている。 全体的に赤い色調だが、ほかの赤いヌードシリーズと異なり、服を着ている。これは、もともと赤いヌードシリーズが、画商からの依頼で描いた商業絵画と分けているからかもしれない。制作した1917年というのは、ちょうど赤いヌードシリーズを制作していた時期(1916-1919年)だった。

24日 6月 2017
《赤いヌード》は1917年にアメディオ・モディリアーニよって制作された油彩作品。モディリアーニの代表作で最もよく複製され、また展示されている作品の1つ。2015年11月9日のニューヨーク・クリスティーズで約1億7000万ドルで落札され、これまでのモディリアーニ作品では最高価格を記録した。購入者は中国の実業家である刘益谦(Liu Yiqian)。 本作品は、1917年にモディリアーニの画商であったレオポルド・ズボロフスキーからの依頼で制作されたシリーズ「ヌード画」の1作品で、同年、ベルテ・ウェイル画廊で開催されたモディリアーニの最初で最後の個展で展示された。2015年11月のクリスティーズの売上記録から、モディリアーニのヌード画シリーズの需要の高さは、ヌードを主題とした近代美術作品の力強さを再確認できたという。