トッド・ショア / Todd Schorr
大衆文化の見世物小屋
概要
トッド・ショア(1954年1月9日生まれ)はアメリカの画家。マーク・ライデンと並んでロウブロウ・アート・ムーブメント、またポップシュルレアリム・ムーブメントを担ったの重要な作家の一人である。
古典巨匠の精密な絵画技法を重視しており、その高度に洗練された技術力と子どものころに影響を受けたマンガをミックスして表現する。
ショアは自身を「文化人類学者」ともいい、その作品の多くは人間社会への批評性をユーモラスな視覚的ボキャブラリでもって物語を紡ぐのが特徴である。
略歴
幼少期からデビューまで
ニュージャージー州で子ども時代を過ごしたショアは、幼年期から絵画に対する強い関心を示し、5才で土曜日の朝の美術教室に通い始めた。
影響を受けたのは、「キングコング」(1933年)や初期のウォルト・ディズニーやマックス・フライシャーのようなファンタジー映画で、ほかに風刺雑誌『MAD』は、ショアの思春期における視覚的ボキャブラリの発達に多大な影響を与えている。
1970年、16才の夏のヨーロッパ旅行でイタリアのウフィツィ美術館を訪れたときに、ショアは古典巨匠の技術とマンガの融合というアイデアを持ち始めた。
1972年にショアはフィラディア美術大学に入学して画家を目指そうと思ったものの、周囲からイラストレーターになることを助言され、結局、ショアは在学中はプロのイラストレーターになる決心をする。1976年に卒業するとすぐに、ニューヨークへ移動して、そこでプロのイラストレーターとして活躍し始めた。
商業作家からファイン・アートへ
コカコーラやバドワイザー、ABCテレビやAT&Tなどの宣伝イラストやジョージ・ルーカス、コッポラの映画ポスター、AC/DCからクール&ザ・ギャングまで大物ミュージシャンのアルバムジャケットを手がけるなど、世界市場で荒稼ぎする超ビッグネームたちを顧客に抱えた典型的な売れっ子イラストレーターとなった。 マーク・ライデンとほぼ同じような経歴といえる。
にも関わらず、理想の作品と現実の活動のへだたりに痛切な疑問を感じ、1983年頃からはイラスト廃業の道をまっしぐら。1985年にショアはイラストレーションの仕事から離れてファイン・アートの絵画へ転身する。
ショアは1986年に日本の東京にあるラフォーレ・ミュージアムで開催された『今日のアメリカン・ポップ・カルチャー展(American Pop Culture Images Today)』に招待され、作品を展示。
当時、ほかに招待された作家はロバート・ウィリアムス、スザンナ・ウィリアムス、ネオン・パーク、ボブ・ゾエル、ジョージアンヌ・ディーン、マーク・マザーズボー、ゲイリー・パンター、キャシー・ステイク・ショアで、大部分は今日でいうロウブロウやポップシュルレアリスムムーブメントの作家だった。
ショアはその後もグループ展を中心に展示を続け、1992年にロサンゼルスにあるTamara Bane Galleryで初個展「Side Show(見世物小屋)」で見事に成功した。個展に向けてイラストレーションの仕事はすべて断っていたようだ。その後、ショアと彼の妻は1999年にロサンゼルスへ移動して活動を続けている。
西洋古典絵画との融合
ショア作品の重要な持ち味の1つに、西洋古典絵画の巨匠たちへの偏愛がある。イラスト画家時代のキャッチーで派手な色彩のパレットを、伝統的西洋絵画のシブいパレットへと持ち替えただけでなく、14世紀の画家チェンニノ・チェンニーニの絵画論を始めとする西洋古典絵画のさまざまな技を研究し、サイケデリックに変調された20世紀トラッシュ文化遺産を描くために駆使しまくっているというから驚きだ。
トッド・ショアは、チキ&タトゥー&ホットロッド&サーフィンといった若者向けファッションの1つとして消費されている「ロウブロウアート・ブーム」には否定的だ。そしてそんなアーティストとしての自分の立場を、社会批評家、ないし、文化人類学者でもあれば、サーカス見世物小屋の呼び込み役だとも語っている。
流行に踊らされることの虚しさを誰よりも切実に知り、ロウブロウブーム終焉後の地位どころか、アメリカ文明崩壊後の地位さえ確保してしいる超怪力派だ。
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