磔刑の土台となる人物像の3つの習作
Three Studies for Figures at the Base of a Crucifixion
後世への影響大のベーコンデビュー作
概要
作者 | フランシス・ベーコン |
制作年 | 1944年 |
メディウム | 油彩、パステル、ステンダラ、ファイバーボード |
サイズ | 74 cm x 94 cm |
コレクション | テート・モダン |
フランシス・ベーコンが1944年に制作した『磔刑の土台となる人物像の3つの習作』(通称『3つの習作』)は、三連画(3枚組の絵)として描かれました。支持体はステンダラ(繊維板)で、油彩とパステルを使い、わずか2週間で完成させた作品です。
この作品には、ギリシア神話に登場する復讐の三女神「エリーニュス」、またはギリシアの悲劇作家アイスキュロスの『オレステイア』に出てくる同じく復讐の三女神がモチーフとして反映されています。背景は鮮やかなオレンジ色で、そこに首を長く伸ばし、歯をむき出しにした奇妙な鳥のような生物が3体描かれています。
ベーコンはこの作品に、パブロ・ピカソの生物的な形態に対する探究や、自身の「磔刑」に関する独自の解釈、さらにギリシア神話の要素を取り入れました。そのため、この作品は彼のこれまでの画業を凝縮したような構成になっています。
この謎めいた生物のイメージは、後に映画監督デビッド・リンチの『イレイザーヘッド』に登場する奇形児や、デザイナーH・R・ギーガーによる『エイリアン』の造形にも影響を与えたといわれています。
ベーコンは、伝統的な磔刑図とは異なり、キリストを十字架に描くことなく、独自の視点でこの主題を表現しました。彼はこの3体の生物について「人間の姿に近いが、極端に歪められた有機体」と語っています。この作品を見た多くの人が、当時「悪夢のようだ」と形容しました。
『3つの習作』は、ベーコンの最初の成熟した作品と考えられています。彼はそれ以前の自身の作品を重要視せず、美術市場に出回らないようにしていました。そして、この作品こそが「自分の画家としての出発点」であると語っています。
1945年4月、ロンドンのルフェーブル・ギャラリーで『3つの習作』は初めて公開され、大きな話題を呼びました。この展示をきっかけに、ベーコンは戦後の重要な画家の一人としての地位を確立していきます。
批評家ジョン・ラッセルは、1971年に「『3つの習作』の前後でイギリス絵画の流れは決定的に変わった」と評し、この作品が美術史に与えた影響の大きさを指摘しました。
重要ポイント
✔『3つの習作』はベーコンの転機となる作品
彼の初めての成熟した作品とされ、それ以前の作品を否定するほどの重要な位置づけとなった。
✔伝統的な磔刑図とは異なる独自の表現
キリストを描かず、奇妙な鳥のような生物を通じて「磔刑」のテーマを再解釈。悪夢的な印象を与えた。
✔美術史に与えた大きな影響
1945年の展示でセンセーションを巻き起こし、以後のイギリス絵画の流れを決定的に変えた。
背景
●成功までの長い道のり
フランシス・ベーコンは、画家としての成功を収めるまでに時間がかかった人物でした。1920年代後半から1930年代前半にかけて、彼は家具や絨毯のデザイナーとして働きながら、時折絵を描いていました。しかし、本格的に画業へ打ち込むには、自分にとって魅力的なテーマを見つけるまで長い時間を要したと、後に語っています。
●1933年の『磔刑』— 初めての挑戦
1933年、パトロンであるエリック・ホールの依頼を受け、ベーコンはキリストの磔刑をテーマにした3枚の連作を描き始めました。これらの作品には、シュルレアリスム的な要素として、襞のある形態、平坦な背景、花や傘などが含まれていました。しかし、美術批評家のヴィーラント・シュミードは「美的には心地よいが、切迫感や内面的な必然性に欠ける」と評価し、ヒュー・デイヴィスも「形式に重点を置きすぎ、表現の力が弱い」と指摘しました。
ベーコン自身もこれらの作品が十分な成果を上げられなかったと認めています。単に装飾的なものに留まり、深みが欠けていたのです。この時期、彼は厳しい自己批判を繰り返し、満足のいかない作品は完成前に破棄してしまうこともありました。そして、磔刑のテーマを一度放棄し、しばらく絵画から遠ざかり、恋愛や飲酒、ギャンブルに没頭する時期を迎えます。

● 1944年、『3つの習作』の誕生
それから11年後の1944年、ベーコンは再び磔刑のテーマに取り組みます。このとき、彼は過去の様式的な要素を一部受け継ぎながらも、新たな解釈を加えました。たとえば、ギリシア悲劇『オレステイア』に登場する復讐の女神をモチーフにした、細長く歪んだ生物的な形態を取り入れています。
また、1933年の『磔刑』で初めて登場した、人物から放射状に伸びる3本の線を再び用いるなど、独自の空間表現も発展させました。
1944年、わずか2週間で描かれた『3つの習作』。ベーコンは当時の制作状況について、「ひどい二日酔いで、自分が何をしているのかわからないこともあったが、酒のおかげで自由になれたのかもしれない」と回想しています。
この作品は、ロンドンのサウス・ケンジントンにあるクロムウェル・プレイス7のアパートで制作されました。この建物の広い奥の部屋は、かつて画家ジョン・エヴェレット・ミレイがビリヤード場に改造した空間でした。昼間はベーコンのアトリエとして使われ、夜になると、エリック・ホールやベーコンの乳母ジェシー・ライトフットの助けを借りて、違法なカジノとしても機能していました。
●1944年以前の作品を封印
フランシス・ベーコンは本作を自身のキャリアの出発点と強く位置づけ、それ以前の作品を否定しました。彼は20年近く絵を描いていたにもかかわらず、それ以前の作品の多くを破棄し、アトリエを離れた作品も封印しようとしました。
1944年以前の作品を「自分の正典には含めない」とするこの主張には、当時の美術批評家の多くも同意しました。ジョン・ラッセルやデイヴィッド・シルヴェスターといった著名な批評家も、ベーコンの初期の出版物を1944年の『3つの習作』から始めています。さらに、ベーコン自身も生涯を通じて、1944年以前の作品を回顧展に含めることを拒み続けました。
3つのパネルの解説
『3つの習作』は、当時ベーコンがキャンバスの代わりに使っていた明るいサンデアラ板に描かれています。
それぞれのパネルには、強いオレンジ色の背景に、張りのある彫刻的なフォルムの生き物が一体ずつ描かれています。ただし、このオレンジ色は絵具の油分の違いやボードへの吸収率のばらつきによって、一貫した色合いではありません。生き物の蒼白い肌は、灰色と白の筆跡を重ねることで表現され、小道具は黄色、緑、白、紫など多彩な色調で彩られています。
●3体の異形の生物
美術評論家ヒュー・デイヴィスは、左側の生き物が最も人間の姿に近く、磔を表しているのではないかと指摘しています。この生き物は、手足がなく、テーブルのようなものの上に座り、長い首、大きく丸みを帯びた肩、黒く濃い髪を持っています。
中央の生き物ははっきりとした顔を持たず、唸るように歯をむき出し、首の上に直接口が置かれているように見えます。さらに、垂れ下がった布の包帯で目隠しされており、これはマティアス・グリューネヴァルトの『キリストをあざむく』からの影響が考えられます。この生き物は鑑賞者に正対し、台座の底部から放射状に伸びる収束線によって、中央に強調して配置されています。

●修正の痕跡と隠されたイメージ
この作品は、完成までに何度も修正が加えられたことが、赤外線検査によって明らかになっています。たとえば、中央の生き物の足の周りにあるマゼンタ色の馬蹄形は、もともとは花として下書きされていたことがわかっています。また、厚く塗られた白やオレンジの絵の具の下には、風景を描くための曲線的な筆跡や、小さな涅槃像が隠されていることも発見されました。
ベーコン自身は、1959年に書いた手紙の中で、「この人物は、いずれ作るかもしれない大きな磔刑像の台座として考えていた」と述べています。つまり、もともとはさらに大きな祭壇画の一部として構想されていた可能性があります。
●トリプティック(三連画)としての成立
しかし、美術評論家のマイケル・ペピアットは、「3つのパネルは最初は別々の作品として描かれ、あとからトリプティック(三連画)として組み合わされたのではないか」と考えています。実際、この3つのパネルには、もともと一つの作品として描かれたことを示す明確なつながりはほとんど見られません。
背景のオレンジ色は3枚とも共通していますが、ベーコンはそれ以前にもこの色を使った作品を描いており、単色の背景で構成された時期がありました。彼はキャリアの初期から連作(シリーズ作品)を好み、複数の作品を組み合わせることで新しい表現が生まれることに気づいていました。彼が言うように、「イメージは私の中で別のイメージを生む」のです。
●キリストの磔刑か? フューリー(復讐の女神)か?
また、この作品にはタイトルにある磔刑そのものの要素はほとんど描かれていません。美術評論家のヴィーラント・シュミードは、磔刑にされたキリストと両脇の盗賊の代わりに、ギリシャ神話に登場する「三人のフューリー(復讐の女神)」が描かれていると指摘しています。
●ピカソの影響と恐怖の表現
また、ベーコンの描いた人物たちの造形には、ピカソの影響が見られます。特に、ピカソが1920年代後半から1930年代半ばにかけて描いた『海水浴客』(1937年)などの作品と似た要素が含まれています。
ただし、ピカソの人物が持つユーモラスな雰囲気やエロティックな印象は、ベーコンの手によって、より不気味で恐ろしいものへと変えられています。この恐怖の表現には、15~16世紀のドイツの画家、マティアス・グリューネヴァルトの『キリストをあざける』からの影響もあると考えられています。

レイモンド・モーティマーは『ニュー・ステーツマン』誌と『ネイション』誌に寄稿し、このパネルについて「ピカソの『磔刑』(1930年)から引用したようだが、さらに歪曲され、ダチョウの首やボタンの頭が袋から突き出ている。全体として陰鬱な男根像で、ユーモアのないボッシュの作品のようだ。これらのオブジェはスツールに腰掛けられ、1930年のピカソのように彫刻のように描かれている。ベーコン氏の類まれな才能を疑う余地はないが、私たちが生き延びてきた残虐な世界に対する彼の感覚を表現したこれらの絵は、芸術作品というよりはむしろ憤怒の象徴のように思える。もし平和が彼の心を癒すなら、今彼が狼狽しているように、彼は歓喜するかもしれない」と述べている。

主題とスタイル
『3つの習作』 は、ベーコンが後の作品で発展させていく表現方法の原点となる作品です。彼はこの絵を描いた後も、ずっと同じようなテーマや技法にこだわり続けました。
たとえば、以下のような特徴は、のちの作品にもたびたび登場します。
- 三連画(トリプティク) —— 3枚のパネルを並べて構成する形式
- 金箔を施した額縁とガラス越しの人物 —— 作品を特別なものに見せる演出
- 開いた口、歪んだ体の描写 —— 人間の感情や苦しみを強調
- 「フューリーズ」(復讐の女神)をモチーフにした生き物たち
- 磔刑(たっけい)というテーマ
この絵に登場する生き物たちは、人間の形をしているようでいて、大きく歪められています。雰囲気は 暴力的で、不気味で、肉体的な苦痛がむき出し になっています。
ただ、他の作品と違う点もあります。この絵は、ベーコンが 「フューリーズ」 というギリシャ神話の女神を元にしていることを明確に示しており、比較的「元の話」に忠実です。さらに、この3つの生き物は背景のない空間にいることも特徴的です。
1948年まで、ベーコンの描く人物は狭い部屋や囲まれた空間に閉じ込められていることが多かったのですが、『3つの習作』ではそうではありません。背景はなく、どこにいるのかわからない不安定な空間に むき出しのまま置かれています。
ベーコンは、この絵に出てくる生き物たちを ギリシャ神話の「フューリーズ」(復讐の女神)を元にしたと話しています。「苦悩」「怒り」「復讐の執念」 という雰囲気は、フューリーズの伝説と重なっています。
フューリーズは、古代ギリシャでは 罪人を追い詰め、復讐のために殺す存在 とされていました。例えば、ギリシャ悲劇 『オレステイア』(アイスキュロス作)では、主人公は母親を殺したためにフューリーズに追われます。
この劇の中で、殺される運命にあるカッサンドラはこう叫びます。
「血に酔い、狂ったように喜ぶフューリーズが、この部屋にいる……!」
こうした 「逃れられない復讐の恐怖」 が、ベーコンの作品の持つ不気味なエネルギーと共鳴しているのです。
『3つの習作』の 中央のパネル に描かれた人物の口は、大きく開かれ、苦しみや叫びを表しています。この「口」の表現には、映画の影響がありました。」ベーコンは映画監督セルゲイ・エイゼンシュテイン の『戦艦ポチョムキン』(1925年)に登場する 「オデッサの階段の虐殺」 のシーンからインスピレーションを得ています。このシーンでは、負傷した看護婦が恐怖のあまり叫ぶ瞬間が映し出されます。その開いた口のイメージが、ベーコンの絵の中に取り入れられたのです。
1984年、放送作家メルヴィン・ブラッグは、ベーコンにインタビューを行いました。その際、彼の初期の作品では「口」というモチーフに強くこだわっていたと指摘します。
すると、ベーコンは次のように答えました。
「私はいつも、モネの風景画のように美しい口を描けると思っていた。もっと色彩豊かに、口の内部のあらゆる色彩を表現すべきだった。」
つまり、彼は口の内部の多様な色をもっと生かしたかったのです。これは、単なる叫びの表現ではなく、「口」そのものの美しさや生命力に惹かれていたことを示しています。

1988年版「3つの習作」

フランシス・ベーコンは、自身の代表作をもとに新たなバージョンを制作することが多かった。1988年には、オリジナルの『3つの習作』をほぼ再現した作品を完成させている。この新版は、各パネルが78×58インチ(198×147cm)と、オリジナルの2倍以上の大きさになっている。
また、背景の色も変更され、従来のオレンジから血のような深紅へと塗り替えられた。さらに、生物のサイズが小さくなったことで、「より深い虚空に沈み込むような効果が生まれている」 と、テート・ギャラリーのカタログでは解説されている。
しかし、この新版に対する批評家の評価は分かれた。1988年の三連祭壇画について、多くの評論家は「絵画技法が洗練された一方で、オリジナルの持つ力強さが失われてしまった」と指摘している。
美術評論家のデニス・ファーは、拡大されたスケールが作品に「荘厳さを与えている」と評価しつつも、その洗練された表現が初期作の衝撃的な印象を弱めていると述べた。また、批評家のジョナサン・ミードも、1988年版は「より絵画的で洗練された作品だが、オリジナルの荒々しさが欠けている」と評している。
さらにミードは、ベーコンがしばしば自身の作品を再解釈していたことに触れたうえで、「肖像画以外の分野におけるベーコンの自己模倣は、そこまで悪影響を及ぼしていなかった。しかし、1944年の偉大な『磔刑三連祭壇画』の1988年版(またはそのコピー)は、劣った作品だ。より滑らかで洗練され、絵の具の扱いも格段に容易になった。背景は緻密に描かれ、色のトーンも明確になったことで、1944年版の持つ強烈な毒オレンジが消えてしまった」と述べている。
一方で、美術評論家のジェームズ・デメトリオンは、新版の変更点を認めながらも、「それでもオリジナルと同じ力とインパクトを持っている」と評価している。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Three_Studies_for_Figures_at_the_Base_of_a_Crucifixion、2025年2月21日アクセス