【作品解説】マルセル・デュシャン「処女から花嫁への移行」

処女から花嫁への移行 / The Passage from Virgin to Bride

純粋芸術からエロティシズムへの移行


マルセル・デュシャン「処女から花嫁への移行」(1912年)
マルセル・デュシャン「処女から花嫁への移行」(1912年)

概要


作者 マルセル・デュシャン
制作年 1912年
メディウム 油彩、キャンバス
サイズ 59 cm x 54 cm
コレクション ニューヨーク近代美術館

《処女から花嫁への移行》は、1912年にマルセル・デュシャンによって制作された油彩作品。《階段を降りる裸体 No.2》《花嫁》の間の時期に描かれた作品で、ミュンヘンに2ヶ月間滞在していた時期に描かれた作品群《処女 No.1》《処女 No.2》《処女から花嫁への移行》《花嫁》《飛行機》の1つに当たる。

 

本作では、それまでデュシャンが基盤としていたキュビスムや運動の変化を表現する線が消え、それまでと違った視点を取り入れようとしている。その違った視点とは、この後の《大ガラス》をはじめ、デュシャンの作品に頻繁に現れはじめる機械的要素である。肉体を機械のオブジェとしてとらえはじめた移行期の作品である。

 

処女とはキュビズム以前の絵画を、花嫁とはキュビズム以降の作品のことを指している。その間の移行期にある作品だから《処女から花嫁への移行》というわけである。

 

デュシャンは、《階段を降りる裸体 No.2》をパリで発表したとき批難を受け自主的に作品を取り除き、キュビズムグループから距離をとりはじめた。その後、二ヶ月間ミュンヘンに滞在しているが、そのときな詳細なプライベートな生活に関する記録は残っていない。

 

キュビスムを捨てて、コンセプチュアル・アートへと移行しはじめたこの作家としての行く末を左右する二ヶ月間に、デュシャンが何を考え、何をしていたかについてはほとんどわかっていないし、デュシャンもまたそうであってほしいと願うモラトリアムの時期だったと思われる。外の世界からすっかり切りはなされた暮らしをしたいという衝動が、デュシャンにあったといわれる。

 

デュシャン自身「ミュンヘンでの滞在では、わたし自身の完全な解放の好機となった。なぜなら、このときに、私は大きな作品(大ガラス)の基本的なプランをたてたからである」と語っているように、この二ヶ月間で、それまでデュシャンが影響を受けていた美術知識やキュビズムを一気に捨ててしまうようになる。そうした状況下で制作された作品である。

純粋美術とエロティシズムの融合


デュシャンにおける「処女」とは、キュビスムをはじめとした当時流行していたカンディンスキーの純粋美術のことを暗喩している。純粋芸術という言葉はギヨーム・アポリネールがつけたという。

 

ミュンヘンに滞在時、デュシャンはロシアの偉大な画家であり理想化であるカンディンスキーの純粋芸術絵画を目の当たりにしていたが、これら抽象芸術の画家やドイツ表現主義にほとんど興味を覚えなかった。むしろ、抽象芸術に対する皮肉な反応をした作品ともいえる。

 

デュシャンは20世紀美術の最重要課題である「純粋」な抽象の問題に無関心だった。デュシャンにとって「抽象」や「具象」や表現する際の道具に過ぎず、それが「イズム」「思想」になるとは思えなかった。実際に、大ガラスでも、花嫁の部分は抽象的に表現されているが、独身者の部分は抽象とは程遠く、具象オブジェである。

 

そして、デュシャンは「純粋美術にエロティシズム」入れるというアイデアを考えた。デュシャンにとって「セックス」とは「機械」に置き換えられることが多々ある。現にこのあとに制作された《花嫁》は人間的な移動の力学を捨て去って、科学装置のような冷たい精密さと動物のような肉感のある色調で描かれている。

マルセル・デュシャン《花嫁》1912年
マルセル・デュシャン《花嫁》1912年

■参考文献

・マルセル・デュシャン自伝(カルヴィン・トムキンズ)

・デュシャン 人と作品(フィラデルフィア美術館)

MoMa「処女から花嫁への移行」

https://www.independent.co.uk/arts-entertainment/art/great-works/duchamp-marcel-the-passage-from-virgin-to-bride-1912-801476.html、2020年5月16日