最後の晩餐 / The Last Supper
イエスと十二人の弟子の晩餐を描いた有名画
概要
作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
制作年 | 1490年代 |
サイズ | 460 cm × 880 cm |
メディウム | テンペラ、ジェソ |
所蔵者 | サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会 |
《最後の晩餐》は、15世紀後半にイタリアの画家レオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された壁画作品。ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれており、西洋世界で最も有名な絵画の1つと認識されている。
制作開始時期は、1495年から96年頃と想定されており、レオナルドのパトロンだったミラノ公爵ルドヴィコ・スフォルツァの教会と修道院の建物の改修計画の一部として依頼を受け、制作されたものである。
この絵は、ヨハネの福音書13:21で伝えられているように、イエスの最後の晩餐と使徒たちの様子で、十二使徒のうちの1人がイエスを裏切ると告知して十二使徒の間で起きた驚きを描写している。
使用された道具やさまざまな環境要因、意図的に付けられた損傷のため、1999年を最後に何度も修復が行われたにもかかわらず、今日ではオリジナルの絵はほとんど残っていない。
背景
《最後の晩餐》のサイズは460cm×880cm(180インチ×350インチ)で、イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の食堂の壁に描かれている。主題は食堂における伝統なものだったが、レオナルドが描いた当時の部屋は食堂ではなかった。
主要となる教会の建物は、描いた当時の1498年に完成したばかりだったが、ルドヴィコ・スフォルツァの計画で、家族の大霊廟にリフォームされる予定だった。この絵はルドヴィコが大霊廟の中心部にするよう要請した作品である。絵画の上にある三重の半円型のアーチの天井のルネット部には、スフォルツァの紋章で描かれている。
食堂の反対側の壁には、イタリアの画家ジョヴァンニ・ドナート・ダ・モントルファノ(1460-1502/03)が1495年に描いたキリストの磔画にレオナルドがテンペラでスフォルツァ家の肖像画を追加したフレスコ画が描かれている。
《最後の晩餐》は、イエスが使徒の一人が裏切ると告知したときの各使徒の反応を描写している。 12人の使徒全員がおのおのの程度の怒りとショックでさまざまな反応を示している。各使徒たちは、19世紀に発見された写本から名前が識別された。それ以前は、ユダ、ペテロ、ヨハネ、イエスだけが明確に特定されていた。左から右へ使徒を挙げていくと
- バルトロマイ、ヤコブ (アルファイの子)、アンデレの3人は1つのグループで、全員、驚いた表情をしている。
- イスカリオテのユダ、ペトロ、ヨハネの3人が別のグループを作っている。ユダは赤、青、緑の服を着ており、引っ込み思案で自身の計画が突然明らかになったことあっけにとられている。右手に小さな袋を握りしているが、おそらくイエスを裏切るための報酬として与えられた銀貨を示唆しているか、もしくは会計係としての役割を言及している。また、ユダは塩瓶をひっくり返しているが、これは「塩を裏切る」ことを意味する東洋の表現と関係があるかもしれない。彼はテーブルの上に肘を付けている唯一の人物であり、頭はほかの誰よりも低い位置に描かれている。身を乗り出し、イエスの隣に座るヨハネに寄りかかっている。彼は怒っているように見え右手にナイフを所持している。おそらく、イエスが逮捕されている間のゲッセマネの園での暴力的な反応の伏線的な描写と思われる。最年少の使徒ヨハネはペトロに傾いているように見える。
- イエス
- トマス、ヤコブ (ゼベダイの子)、フィリポの3人がイエスの右側にグループを形成している。トマスは明らかに動揺している。上げられた人差し指は、再誕の不審を予兆している。ヤコブは空中に腕を置き、ぼうっとしているように見える。一方、フィリポは理由を求めているように見える。
- マタイ、タダイ、熱心党のシモン右端の3人のグループである。タダイとマタイはともに、おそらく「今、主は何とおっしゃったのか」シモンに聞いている。
この頃からほかの芸術家たちの《最後の晩餐》もレオナルドと共通した描き方をするようになる。レオナルドはテーブルの片側だけに食事する人を配置し、鑑賞者に対して背を向ける人物は描かなかった。
レオナルド以前のほとんどの《最後の晩餐》の描写では、ユダを区別するため他の11人とイエスから離れるように配置してユダを強調しようとした。たとえば、長いテーブルの端に一人孤立するようにユダが描かれていたり、11人の弟子とイエスと向かいあうようにテーブルの反対側に描かれた。また、ユダを除く弟子たち全員に光背が描かれていた。
しかし、レオナルドは12人の弟子全員に光背を描かず、ユダだけを孤立させることもしなかったが、その代わりにユダをテーブルにもたれさせ、また顔に影をいれることで区別を図った。
イエスは裏切者について「わたしがパン切れをワインに浸して与える者です」と話し、パン切れを浸して裏切りものにわたそうとしている。この絵では、イエスが手を伸ばしているパンに手を伸ばそうとしているものが裏切者である。
イエスは左側に視線を向けているため、イエスの左側にいる弟子たちが動揺しているが、実はイエスの右手がパンの一片に向かっている。このとき、ユダはイエスの右手がパンに向かっていることに気づかず、同じパンの方向に左手を伸ばしている。
また、この絵はレオナルドの見事な遠近法の使い方を証明している。アングルや照明はイエスに集中している。イエスの右頬が遠近法における消失点に位置している。
また、レオナルドは、ミラノとその周辺の人々の肖像を絵画の人物のインスピレーション元として利用したと伝えられている。絵が制作されている間、レオナルドの友人で数学者のルカ・パチョーリは、作品に対して「救いに対する人間の燃える欲望の象徴」と呼んだ。
メディウム
この作品制作のため、レオナルドは伝統的なフレスコ画よりも精密さや輝度を調整しようと考えた。
そのため、レオナルドの『最後の晩餐』は厳密にはフレスコ画ではなくなっている。フレスコ画は古代ローマ時代から用いられており、漆喰を塗り、それが乾ききる前に顔料を載せて壁自体をその色にする技法である。
この技法で描いた絵画は壁や天井と一体化し、ほぼ永続的に保存されが、漆喰と一体化するため、使用できる色彩に限りがあり、漆喰を塗ってから乾ききるまでの8時間程度で絵を仕上げる必要がある。重ね塗りや描き直しは基本的にできない。
フレスコ画は通常の絵画と異なり、一度描くと修正出来ないため、レオナルドは代わりにジェッソ、ピッチ、マスチックで構成された乾燥した漆喰の二重層の乾いた壁にテンペラ画で描いた。
その後、パネル画を借用して、上に塗った油絵とテンペラの明るさを高めるために白鉛の下塗りを追加した。これは14世紀にチェンニーノ・チェンニーニが発明した技法だった。しかしながら、チェンニーニは最後の仕上げだけに乾式フレスコ画法を使うことを推奨していた。
これらの技法は、レオナルドが制作に時間をかけたい採用したもので、彼のスタイルで不可欠な要素である段階的な陰影や明暗法を使うことができた。
重要なコピー作品
《最後の晩餐》の初期のコピーが2点存在することが知られている、それらはレオナルドのアシスタントが制作したものと推定されている。コピーはオリジナルとほぼ同じサイズで、破損することなく完全な状態で残っている。
1点はジャンピエトリーノ作のものでロンドンの王立アカデミーが所蔵している。もう1点はチェザーレ・ダ・セスト作のもので、スイスのポンテ・カプリスカにある聖アンブロジオ教会に設置されている。
また、3つ目のコピー作品(キャンバスに油彩)は、1520年にアンドレア・ソラリに描かれ、ベルギーのトンゲルロ修道院のレオナルド・ダ・ヴィンチ博物館に展示されている。
歴史
レオナルドは1495年から1498年ころにかけて《最後の晩餐》の制作に取り組んでいるが、継続的でなく、制作を中断している時期があると考えられている。
制作時期に関する修道院の記録がないため、制作開始日に関しては定かではない。1497年付けの文書では、その年に絵がほぼ完成した記載されている。また、ある話では、修道院の前職者が遅筆に不満をもらし、レオナルドをトラブルを起こし制作が滞ったともいわれている。
レオナルドは修道院長に手紙で、ユダの顔を描くのに必要な完璧な悪役顔のモデルを探すのに苦労したと説明している。理想のモデルを見つけることができなかったら、修道院長をモデルに使っていただろうと不満を書いている。
なお、この時期レオナルドは《最後の晩餐》でイエスを描いているときに《サルバトール・ムンディ》の制作に取り組んでいたかもしれない。
近代美術と《最後の晩餐》
1955年、サルバドール・ダリは《最後の晩餐の儀式》という作品を制作している。かの作品でイエスは金髪でひげはきれいに剃られており、幽霊のような胴体が描かれている上の部分を指し、使徒たちはみんな頭を下げて誰か特定できないように描いている。ワシントンD.C.のナショナルギャラリーのコレクションで最も人気のある作品と評価が高い。
メアリー・ベス・エデルソン《生存中のアメリカ人女性芸術家/最後の晩餐》(1972年)で、レオナルドの《最後の晩餐》を引用し、著名な女性芸術家の頭を使ってキリストや使徒の頭をコラージュした作品を制作した。
コラージュに使われた女性芸術家は、ジョージア・オキーフ、ヨーコ・オノ、リンダ・ベングリス、ルイーズ・ブルジョワ、エライン・デ・クーニング、ヘレン・フランケンサーラー、ナンシー・グレイブス、リラ・カッツェン、リー・クラスナー、ルイーズ・ネヴェルソン、M・C・リチャーズ、アルマ・トーマス、ジューン・ウェインである。
また、他の女性アーティストの写真が作品を囲むように並べられている。 82人の女性アーティストすべてが絵画全体の一部である。この作品は、フェミニスト芸術運動の最も象徴的な絵画の1つになった。
彫刻家のマリソル・エスコバルは、塗装、描画された木材、合板、ブラウンストーン、石膏、アルミニウムを使用して、実物大の立体的な《最後の晩餐》の彫刻を作成した。
1986年、アンディ・ウォーホルはミラノで最初に開催した展覧会で《最後の晩餐》を基盤にした絵画シリーズの制作依頼を受けた。これは彼の死の前に制作した最後のシリーズ作品だった。
1988年、スーザン・ドロテア・ホワイトは世界のあらゆる地域の13人の女性を表現した《最後の晩餐》を描いた。キリストの位置に描かかれている女性はオーストラリアの原住民である。
1998年、現代美術家のヴィク・ムニスは、ボスコ・チョコレート・シロップだけで作られた《最後の晩餐》を再現した。
2001年、中国の芸術家曾梵志は破片が散らばっているテーブルに座っている13人のマスク姿の《最後の晩餐》を描いた。2013年10月7日のサザビーズのオークションで2,330万ドルで落札され、現代アジアの美術作品で新記録を樹立した。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/The_Last_Supper_(Leonardo)、2020年2月4日