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【作品解説】ジャン=ミシェル・バスキア「ミシェル・スチュワートの死」

ミシェル・スチュワートの死 / The Death of Michael Stewart

警察に殺された芸術家への哀悼作


概要


作者 ジャン=ミシェル・バスキア
制作年 1983年
メディウム 木製パネルにアクリル、マーカー
ムーブメント 新表現主義
サイズ 63.5 cm × 77.5 cm
所蔵者 ニーナ・クレメンテ

《ミシェル・スチュワートの死》は、1983年にジャン=ミシェル・バスキアが制作した絵画。《改ざん》と呼ばれることもある。

 

本作は、マイケル・スチュワートが、地下鉄に落書きをしたためニューヨーク市交通局の警察官に殺された事件に反応して制作されたもので、反黒人人種差別と警察の残虐行為を表現している。

背景


1983年9月15日、ニューヨーク地下鉄のファースト・アベニュー駅で落書きをしていたアーティスト志望のモデル、マイケル・スチュワートが交通警察に逮捕された。

 

逮捕時に強く首を絞められ重体となったスチュワートは、ベルビュー病院に運ばれたが、その後、13日間の昏睡状態を経て、1983年9月28日に死去した。

 

彼の死は、世間に警察の残虐行為に対する怒りを呼び起こした。ジャン=ミシェル・バスキアも事件に深く影響を受け、友人に「殺されたのは私だったかもしれない」と話している。

 

バスキアは、スチュワートとは親しくなかったが、友人の輪を共有していた。スチュワートは、バスキアの元ガールフレンドであるスザンヌ・マルークと交際していた。

 

バスキアは、スチュワートの死の数日後に、アーティストのキース・ヘリングのノーホーのスタジオの壁に絵を描いた。ヘリングは1985年に移る際に、この作品を壁から切り取っている。

 

バスキアが亡くなった1989年の翌年には、サム・ハヴァドイに装飾的なフレームを付けてもらっている。また、この作品は、1990年にヘリングが亡くなったとき、彼のベッドの上に掛けられていた。

分析


青い制服に身を包んだピンク色の顔をした2人の警察官(1人は鋭い肉食獣の歯を持ち、警棒で黒いシルエットを殴りつけている)が描かれている。

 

彼らの上には「¿DEFACEMENT©?」という文字が書かれている。この影の人物はスチュワートだが、警察に残虐な目に遭わされた黒人男性を表している。

 

また、グラフィティアーティストのDazeとZephyrのタグが作品についている。

 

スチュワートがまだ昏睡状態にあったとき、アーティストのデヴィッド・ヴォイナロヴィッチは、1983年9月26日にユニオン・スクエアで行われたスチュワートの「殺人未遂事件」に抗議する集会のチラシを作成した。

 

チラシには、骸骨のような顔をした警官たちが手錠をかけられた黒人男性を警棒で殴っている様子が描かれている。

 

このチラシはダウンタウンのあちこちに貼られ、それがバスキアに影響を与えたのかもしれない。

 

展示


《改ざん》は非売品、公の場で展示されることはほとんどない。キース・ヘリングの名付け親であり、イタリア人画家フランチェスコ・クレメントの娘であるニーナ・クレメンテが所有している。

 

2016年、インディペンデント・キュレーターのシャードリア・ルブリエは、母校であるマサチューセッツ州のウィリアムズ・カレッジ美術館と提携し、この絵をキャンパスに展示した。同大学の最初の図書館の一部であるリーディングルームに飾られた。

 

2019年、ルブリエはバスキアの展覧会『 Defacement:The Untold Story』をニューヨークのグッゲンハイム美術館で企画して開催した。この展示は、この絵とマイケル・スチュワートの死に対するダウンタウンのコミュニティの反応を中心に構成された。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Untitled_(Skull)、2021年12月2日アクセス