ストリート・アート / Street art
非認可の公共芸術作品
概要
ストリート・アートは公共的な場所で制作された視覚芸術で、また、伝統的な美術館やギャラリーなどの会場の外で展示された非認可の公共芸術作品のことを指す。サブカルチャーにおける「グラフィティ(落書き、いたずら書き)」と同じ扱いとみなされている。
これらの芸術様式は美術業界において「独立公共芸術」、「ネオ・グラフィティ」、「ポスト・グラフィティ」と呼ばれることもあり、アーバン・アートやゲリラ・アートととも関わりが深い。
ストリート・アートで使用される一般的な芸術様式やメディウムは、スプレー塗料、落書き、ステンシル、違法ビラ、ステッカーアート、広告改ざん、ストリート・インスタレーション、彫刻である。
21世紀になると、これらの表現形式のほかに、ライブ・パフォーマンスとそれをスマホやウェブサービスで配信する動画を利用したストリート・アートや、ヤーン・ボーミングと呼ばれる毛糸で覆われたスカルプチャーも増えている。
代表的なストリート・アーティスト
●アメリカ
・アンドレ・チャールズ
・クランドスティーナ・カルチャー
・クロー・マネー
・ティム・コンロン
・ビューティフル・エンジェル
・フェデリコ・アーチュレッタ
・フューチュラ2000
・マーク・ジェンキンス
・ラメルジー
・レディ・アイコ
・レディ・ピンク
・ロビー・コナル
・AVANT
・Avoid pi
・B.N.E.
・Borf
●イギリス
・アンディー・カウンシル
・インキー
・カットアップ
・カートレイン
・ゴーストボーイ
・ジェームズ・コックラン
・シックボーイ
・ジャッファ
・フェイド
・ボム・スクワッド
・Zボーイズ
●フランス
・アッシュ
・アンドレ
・エル・シード
・ジェフ・アエロソル
・ゼウス
・ダルコ
・ティエリー・ノワール
・ミス・ティック
・C215
・JR
●香港
・曾灶財
技法
背景
ストリート・アートは建物、路上、電車、そのほか一般の人々の目に付く公共の場所で展示される芸術形態の1つである。作品の多くはゲリラ的な手法で描かれ、また描かれた作品は芸術家が居住している地域社会と関連のある政治的なメッセージを含んでいることが多い。
もともとストリート・アートは単なる落書きや公共物の破壊行為(ヴァンダリズム)に過ぎなかったが、しだいに芸術家のメッセージを伝えるスタイル、または単純に人々に美を見せるスタイル移り変わった。
ストリート・アートを行う基本的な動機は、ギャラリーやほかの場所よりも公共空間を利用したほうがより多くの不特定多数の人々に自身の作品を見てもらえるというメリットである。
また、一般庶民に対して社会的問題や政治的問題への関心を高める方法「スマート・ヴァンダリズム(柔らかな破壊行為)」としてストリート・アートを利用する芸術家もいる。
ほかに、単純に都市空間そのものを個人的な作品を表現するための新しいメディアとして利用するものや、公共の空間に非合法な芸術作品をリスクを楽しむ事に価値を見出すものもいる。
ストリート・アートにおける伝統的な制作方法はおもにスプレー塗料である。そのほかにはLEDアート、モザイクタイル、ステンシル、ステッカー、リバース・グラフィティなどさまざまな手法が存在する。
絵画以外にもロックオン彫刻、ストリート・インスタレーション、ウィートペースティング、ウッドブロッキング、ヤーン・ボーミング、ロック・バランシングなどさまざまなメディウムを利用した表現がある。とりわけ最近流行っているのは大都市の建物へ作品を映写させるといった新しい手法である。現在は安価なハードウェアやソフトウェアが手に入るようになったこともあり、ストリート・アートは街の企業広告と競争力を高めるまでになっている。
ストリート・アートのようなスタイルを「独立公共芸術」という言葉を使う人もおり、この定義では鑑賞者が訪れないような遠隔地にある作品も含まれる。森の中で行われる一時的な着色煙の芸術や、ロック・バランシングのような積み重ねた岩のオブジェクトなどが代表例である。水中に設置される作品もある。
ストリート・アートの歴史
第二次世界大戦時の「キルロイ参上」
政治的または社会的抗議のスローガンを公共の壁に描くグラフィティ(落書き)行為は、現代のグラフィティやストリート・アートの以前から存在する継続した芸術の1つのジャンルである。
企業のアイコンのようなシンプルで象徴的なグラフィックの形をしたストリート・アートはその時代や地域の謎めいた象徴となることがある。
たとえば、第二次世界大戦時に作られたグラフィティ「キルロイ参上」はそのような初期グラフィティの1つである。「キルロイ参上」は棚の後ろからのぞき見する長い鼻の男のドローイングで、第二次世界大戦のころにアメリカの各所で見られた。作者は不明だが、アメリカ軍の軍人が配備先や野営地などの壁または適当なところに書いた落書きが広まったとも言われている。
戦後ニューヨーク・アンダーグラウンド
現代のストリート・アートと直接関係のあるグラフィティは、戦後のニューヨークのアンダーグラウンドシーンで発生したグラフィティ・ムーブメントにある。
1960年代の黎明期、1970年代の成熟期、1980年代のブロンクスを中心としたスプレー塗装車や地下鉄の壁へのグラフィティをピークとした一連のストリート・アートの流れが、一般的に歴史化されている。
1980年代の初頭ころ、これまでテキストベースだったグラフィティ作品は、リチャード・ハンブルトンの影絵のような視覚的でコンセプト性の高いストリート・アートに変わりはじめる。この時代の代表的なグラフィティは、キース・ヘリングの地下鉄広告グラフィティやジャン=ミシェル・バスキアのSAMOのタグなどがある。
ただし、美術史において「ストリート・アート」として現在認知されているものは、当時まだ研究対象とされていなかった。また、このころにステンシルなどさまざまなグラフィティが登場し、分派がはじまった。
ロック・バンドがクラブやライブハウスで演奏際の告知として利用するポスター・アートは、しだいにコピー・アートや現実的なアートワークへと発展し、1980年代には世界中の都市で見られる一般的な光景となった。
1980年から1984年にかけてニューヨークで活動していたアーティスト集団「AVANT」もこの時代のアーティストだった。AVANTは紙の上に何千ものアクリル絵画を作成し、それらを漆喰を塗って街中の壁、ドア、バス停、ギャラリーに絵を描いていた。
グラフィティの聖地バワリー・ウォール
ニューヨークのハウストン・ストリートやバワリーの壁は、1970年代からストリート・アーティストたちのキャンバスになりはじめた。この場所はグラフィティ・アーティストたちが自由に使った廃棄された壁として、「バワリー・ウォール」と呼ばれる歴史性を持つ壁となっている。
キース・ヘリングは1982年に彼自身でこの壁を自身の作品でのっとったことがある。ヘリングのあと、著名ストリート・アーティストも続いて絵を描き出し、壁は徐々に有名になっていった。2008年ころから壁は個人が管理するようになり、委託または招待制でのみでないと芸術家は利用できないようになっている。
レナ・モンカダの壁画シリーズ「I AM THE BEST ARTIST」 は、1970年代後半にソーホーのストリートに現れはじめた。ルネはアート・コミュニティを軽蔑するかのように壁画を描きはじめたが、アート・ワールドは当初ルネの作品は無視していた。
その後、「芸術への挑発」の初期行為として認められるようになり、それらの壁画はアメリカ合衆国憲法修正第1条や表現の自由、知的所有権などに関する法的紛争で話題となった。
いたるところに偏在する壁画もまた観光客や美大生の注目を集めて、よく写真撮影されることにより、評価が高まりはじめた。
アンダーグラウンドから商業主義への転向
キース・ヘリングの商業的成功
ストリート・アーティストの中には国際的な注目を集めて、アンダーグラウンドの世界からメインストリームの美術業界へ完全に移行するものと、アンダーグラウンドのまま制作を続けるものがいる。キース・ヘリングやジャン=ミシェル・バスキアなどが前者で、バンクシーは後者である。
キース・ヘリングは1980年代の初期ストリート・アート運動の1人だったが、企業と契約を交わし、伝統的なグラフィティやストリート・アートで使われるモチーフをメインストリームの広告に取り入れ、商業主義へ転向した。
ヘリング作品の商業販売についてたずねられた際、「少し絵を描くだけで価格が上がるが、商業主義は私が地下鉄で絵を描いていたことの延長線上であり、ハイアートとロウアートの境界線を破壊しているとおもう」と話している。
ヘリングの活躍後、次第に多くのストリート・アーティストが企業と契約を結び、グラフィックデザイナーとなった。エリック・ヘイズはビースティ・ボーイズやパブリック・エナミーなどのミュージシャンらとコラボレーションを行い、フォントやグラフィックデザインを提供している。
シェパード・フェアリーが大統領選挙戦で自主的に制作したバラク・オバマの応援ポスターは、実際に大統領選挙戦で使用されることになり、特別に依頼を受けて修正されたものが利用された。また、『Time』誌の表紙のために制作されたバージョンも存在する。
ストリート・アーティストが独自の販売チャネルを作ることも珍しくない。
ヨーロッパでは重要な観光スポットに
ストリート・アートは、美術の1ジャンルととして認識されるようになり、またバンクシーをはじめとするさまざまなアーティストの知名度が高まりとともに、一般の人々にも受け入れられるようになった。
多くのヨーロッパの都市でストリート・アートは観光スポットの1つとして扱われるようになる。ベルリン、ロンドン、パリ、ハンブルグなどの都市では一年中、観光旅行者用のためのストリート・アートの世界を楽しめるツアーが開催されている。
地元のストリート・アートのツアーに同行して、ストリート・アートの知識や共有したり、制作背景となるアイデアや、タグの意味や、グラフィック作品に描かかれたメッセージを説明するストリート・アーティストもいる。ロンドンだけでも観光客向けに10種類のツアー・プランが用意されている。
ガイドの多くは、作品の展示方法としてストリート・アートという手法を発見した美大の卒業生またはほかのクリエイティブ関係の専門家である。
このような商業的観点で、彼らは一般の人々にストリート・アートの世界への参加を促し、またストリート・アートの由来を深めることに貢献している。また、一般市民のストリート・アートに関心を持つことで、スラム地帯だった場所が高級化(ジェントリフィケーション)したとも言われている。
合法性と倫理性
ストリート・アートには独自の法的問題が発生し、そこにはアーティスト、市や政府、指定受信者、作品が描かれた建築物や媒体のオーナーが当事者として含まれる。
問題のよい一例は、2014年にイギリスのブリストルの事件のバンクシー作品である。バンクシーが2014年に公共の戸口の合板上に描いた「モバイル・ラバーズ」は、その後、市によって取り外され、ボーイズクラブの資金集めのために売る予定だった。しかし、市政府が作品の美術的価値から没収し美術館に保存することになった。
この場合、所有権と公共財産との問題、不法侵入と破壊行為の法的問題が絡み合ってくる。結果として法的、道徳的、倫理的問題の発生を提示した。
グラフィティとストリート・アートの違い
メッセージの発信先の違い
グラフィティの特徴は、ありふれた風景内で暗喩的な方法を使って自分たちのグループ、またはコミュニティ内でしか理解できない言葉で構成されていることである。基本的には公共空間に自らの「名前」を拡散的に書き残していく行為である。グラフィティの仲間内でいかに自分の「名前」の有名性を競うかが焦点となる。
一方、ストリート・アートは、メッセージを伝えることを目的とした「シンボル」「イメージ」「イラストレーション」が含まれていることである。「名前」をかくことに限られない。ストリート・アートの明確な特徴の1つは、所有者の許可なしに、または所有者の意向に反して、公共の場所で作品が展示されることであり、これはグラフィティの特徴と一緒である。
グラフィティもストリート・アートも鑑賞者にメッセージを表現したり、伝えたりすることは共通しているが、両者の違いの1つは特定の鑑賞者に向けて発信しているかどうかである。
特定の人にしかわからないグラフィティと異なり、ストリート・アートは公共の場所で不特定多数の人たちから脚光を浴びるかのように描かれることが多く、通常、だれが見ても理解できる内容となっている。
「ストリート・アート」という用語はこれまで、さまざまなほぼ同じ意味ではあるが、異なる言葉で説明されてきた。その1つが「ゲリラ・アート」という言葉である。ゲリラ・アートもストリート・アートも路上や公園、市街地、公共施設などで無許可のまま突発的に行なわれる表現活動である。
ストリート・アートのイベント
1981年、ワシントン芸術プロジェクトは、ストリートに直接制作しているファブ・ファイブ・フレディやリー・キュノネスのようなアーバン・アートのパイオニアらたちを紹介し、「ストリート・ワークス」というイベントを開催している。最も古いストリート・アートの最低の1つとみなされている。
カリフォルニア州パサデナで毎年開催される「パサデナ・チョーク・フェスティバル」は、ギネス世界記録によると、世界最大のストリートアートフェスティバルとされている。2010年のイベントでは、あらゆる年齢とスキルを持つ約600人のアーティストが参加し、10万人以上の観客を集めた。
「UMA-国際芸術美術館」は、2018年4月に包括的なストリート・アート展「A Walk Into Street Art」を開催した。バンクシー、JR、ジェフ・アエロソル、フィルス、シェパード・フェアリー、キース・ヘリングなどの作品をが紹介された。
「ユーレカス・ストリート・アート・フェスティバル」は、カリフォルニア州フンボルト郡で毎年開催されるパブリックアートのイベントである。1週間にわたる祭典の間、壁画やストリート・アートを制作するため、カリフォルニアおよび世界中のアーティストが集まる。2018年の祭典では、24人のアーティストがオペラ・アレー美術館を中心に市内の旧市街地域で22のパブリックアートを制作した。2019年の祭典ではダウンタウン地域を中心に開催される。
「RVAストリート・アート・フェスティバル」は、2012年にバージニア州リッチモンドで開催されたストリート・アートの祭典である。エドワード・トラスクとジョン・バリイズによって開催された。2012年、祭典はキャナル・ウォークに沿いで開催され、2013年には、キャリー・ストリート上の放棄されたGRTC LOTで開催され、現在も続いてる。
「サラソタ・チョーク・フェスティバル」は、2007年に設立された祭典である。当初は米国全土から招待されたアーティストによるストリート・アートを後援するものだったが、その後、国際的に拡大した。2011年にこの祭典は、世界中の著名なアーティストが制作したストリート作品に付随する「ゴーイング・バーティカル」壁画プログラムや「セログラフ」企画を紹介した。多くの国際映画では、プログラムに参加したアーティスト、および彼らの壁画やストリートアート、およびフェスティバルでの特別イベントを紹介している。現在も続いている。
「ストリート・アート・フェスティバル・イスタンブール」はターキーで年に一度開催されるストリート・アートやポスト・グラフィティの祭典である。この祭典では、2007年にアーティスト兼グラフィックデザイナーのPertev Emre Tastabanが設立した。
「リビング・ウォールズ」は、2009年に設立された毎年開催されるストリート・アートの会議である。2010年にアトランタが、2011年にアトランタやニューヨークのオールバニが主催した。リビング・ウォールズはアート・バーゼル・マイアミ2011でストリート・アートのプロモーション活動も積極的に行った。
世界のストリート・アート・シーン
ストリート・アートは世界中に存在している。世界の大都市と地方の都市は、ある種のストリート・アートコミュニティの本拠地であり、そこから先駆的なアーティストや新しいメディウムやテクニックが生まれている。国際的に認知されているストリート・アーティストがそのような場所を往来し、作品を宣伝して展示している。
アジア
●香港
2019-2020年の香港抗議デモは、香港一帯に多数のストリート・アートを引き起こした。このアートがほかのストリート・アートと明らかに異なる点は、香港で発生した抗議デモとその内容をより多くの人に知ってもらうための戦術的芸術の1つであること。芸術(art)と行動主義(activism)を組合せたアーティビズムの1つと見られる。
ストリート・アートと同じく政治的メッセージが強く伴うが、個人を主張するような傾向は見られず、代表的な芸術家は存在しない。抗議デモ自体が、以前の運動と比較して「リーザー不在の運動」としての特徴が強く、そのためスローガンやシンボルの多くは、匿名で自発的につくられ拡散されたものである。
また、ストリートだけでなくネット上で作られたあとにストリートへ拡散しているという新しい側面がある。運動の各段階に、さまざな絵描きたちにより印象的な場面やフレーズをイラスト化したイメージが作成され、SNSや掲示板、そしてレノン・ウォールに転載された。
このような抗議芸術を制作した芸術家は共通で「宣伝グループ(中国語:文宣組)」と呼ばれ、ほとんどのメンバーは匿名で活動している。(2019−2020年香港抗議デモ芸術の詳細を読む)
●韓国
韓国で二番目に大きな都市の釜山では、ドイツの画家Ecbが70メートル(230フィート)以上の壁画を作成し、2012年8月の制作時ではアジアで最も大きなストリート・アートとみなされている。この作品は韓国のソウルで設立された現代美術の組織パブリック・デリバリーが企画した。
北米
●アメリカ
ニューヨークには世界中のストリート・アーティストが集まっている。マンハッタンでは1980年代成長したストリートアート「ポスト・グラフィティ」は、その後、ソーホーやローワーイーストサイド近隣へと広がった。また、チェルシー・アート地区はストリート・アーティストたちのもう1つの活動場所となり、ギャラリーとともに合法的な作品を発表する場となった。ブルックリンでは、ウィリアムズバーグとダンボ周辺、特に海岸沿いがストリート・アートのシーンとして知られている。
シカゴには多くのストリート・アートの様式があるが、シカゴのいたるところで見られる最も人気なのは、セントロック、Jcリベラ(ベアチャンプ)、ヘブル・ブラントリーらの作品である。
フィラデルフィアとピッツバーグなどの都市があるペンシルベニア州では、街の壁を装飾するためストリート・アーティストを雇用する機関へ資金を提供するプログラムが用意している。
1984年に設立された壁画芸術プログラムは、フィラデルフィアが「壁画の街」へ成長するのを助けた。この芸術プロジェクトは、グラフィティ・アーティストたちの才能をより建設的に活用するようために始められたものである。
ピッツバーグのスプラウト基金で作られた壁画は、2006年にピッツバーグ・シティ・ペーパーから「ベスト・パブリック・アート」に選ばれた。
アトランタのストリート・アート・シーンは、オールドフォースワードやレイノルズタウン周辺、クロッグ・ストリート・トンネル、22マイルのベルトライン鉄道回廊が中心である。2011年にアトランタ市はグラフィティ対策部を設立。現在、アトランタにあるストリートアートの写真や場所情報は、アトランタ・ストリートアートマップで確認することができる。
ロスアンゼルスの芸術地区は高凝縮されたストリート壁画として知られている。ハリウッドやサンセット大通り、ラブレア、ビバリー大通り、ラシエネガ、メルローズアベニューなどの通りなどが重要な場所である。2011年にオープンしたラボ・アート・ロサンゼルスは、6,500平方フィートのギャラリースペースをストリートアートに充てている。アレック・モノポリー、アニー・プリース、スミアといったアーティストがよく知られている。
サンフランシスコのミッション地区には、ミッション・ストリートやクラリオンとバルミーアレーの両方に沿ってストリート・アートが密集している。
サンディエゴのイーストビレッジ、リトルイタリー、ノースパーク、サウスパーク周辺には、VHILS、シェパード・フェアリー、タバー・ザワッキー、インベーダー、OSGEMEOSなどののストリート・アート作品がある。ほかに、チカーノパークでは、さまざまなメキシコの芸術家による壁画がある。
●カナダ
カナダのモントリオールでは、2013年に壁画祭が開催されるようになって以来、80を超える壁画があり、毎年恒例のストリート・アート。フェスティバルは、ルル・プラトー=モン=ロワイヤル地区はアーバン・アートの震源地となっている。
ヨーロッパ
●イギリス
ロンドンは世界で最もグラフィティに寛容性のある都市の1つになった。公式に非難され、厳しく処置されてはいるが、庶民におけるストリート・アートに対する支持は高く、たとえばスティックの棒人間のグラフィティなど多くは受け入れられている。ダルウィッチ・アウトドア・ギャラリーは、ロンドン南東部のダルウィッチにあるストリート・アート専門の屋外ギャラリーとして知られている。
ブリストルはバンクシーの世界的成功のおかげもあってストリート・アート・シーンとして有名になった。街のエリアの多くに大きくカラフルな壁画が設置されている。
●ポーランド
ポーランドには、建物や壁に巨大な壁画を描くことで有名なアーティストSainerやBestがいる。
●フランス
フランスのパリには、インベーダー、ジェフ・アエロソル、SP38、ゼウスなどのアーティストなどのホームグラウンドである。フランスのストリート・アートの起源をシュルレアリスムとダダイスムの理念を継承した1940年代のレトリスムや、1950年代後半からパリの壁に描かれ、その後のパンクムーブメントにも大きな影響を与えたシチュアシオニストのスローガンであると提唱するものもいる。
ジャック・ヴィルグレやイヴ・クラインやアルマンなどが参加した1960年代のヌーヴォー・レアリスム運動では公共スペースと関わり合ったが、伝統的なスタジオ・ギャラリーとの関係も維持していた。
クリストとジャンヌ・クロードによる1962年のストリート・インスタレーション作品《鉄のカーレン》は、認可されていないストリート・アートの初期作品として引用されることがある。1970年代には、ダニエル・ビューレンによる特定の場所専用の作品がパリの地下鉄に現れた。
ブレック・ル・ラットや1980年代の具象絵画運動であるフィギュラシオン・リーブルは、パリのメトロの駅構内に巨大な絵画を直接描いたり、クラブの壁をマンガのようなコマ割りや激しい筆致のキャラクターで埋め尽くしたりとストリート・アートの要素が見られた。
パリ13区は「ストリート・アート13企画」を通じてストリート・アートを積極的に推進している。この企画でロンドン出身のD*Faceによる2つの注目すべきフレスコ画《愛は私たちを引き裂かない》や《ターンコート》が制作された。
2014年10月から2015年3月にかけて、EDF財団はジェローム・カッツの展覧会「#STREET ART、L’INNOVATION AUCŒURD’UN MOUVEMENT」を開催した。この展覧会は、1990年にオープンして以来、EDFで2番目に入場者が多い展覧会になった。ストリート・アーティストのジョン・ハモンは彼の名前が書かれた写真やポスターを都市の建築物や記念碑に貼り付けたり、映写したりする作品で知られている。
●ドイツ
ベルリンの壁に描かれたストリート・アートは、ドイツが分割されている間に描かれていたが、統一後も増えつ続けており、また、ティエリー・ノワールやタバー・ザワッキー、ABOVE、SP38のようなストリート・アーティストたちのホームグラウンドでもある。
共産主義後、ミッテ区やプレンツラウアー・ベルク区、クロイツベルク区、フリードリヒスハイン区にある安い賃貸や倒壊しかけの建物はストリート・アーティストたちに活躍する場となった。
●エストニア
エストニアで2番目に大きい都市であるタルトゥは、エストニアにおけるストリート・アートの首都と呼ばれている。首都タリンはストリート・アートに反発してきたが、タルトゥはストリート・アート・フェスティバル・ステンシビリティーであり、さまざまなアーティストの幅広い作品のホームグラウンドとして知られている。
●ギリシア
ギリシアのストリート・アートは1980年代後半から活発で、2011年のアテネ金融危機にともなって勢いが増し、多くのアーティストが抗議デモ活動とともにストリート・アートを展開した。「ニューヨーク・タイムズ」紙は経済危機とストリート・アートやアートの関係について書いた本を出版した。ギリシア芸術家Bleepsgrのストリート・アートの作品は、芸術と行動主義を組み合せた「アーティビズム」として分類されており、アテネ近郊のプシリ区などで見られる。
●スペイン
スペインではマドリードやバルセロナよりも、バレンシア、サラゴサ、マラガがストリート・アートの中心地になっている。
●イタリア
イタリアは、1990年代後半からストリート・アートが非常に活発である。有名なストリート・アーティストとしては、BLU、108、Sten Lexなどが挙げられる。
●オランダ
アムステルダムのストリート・アートの歴史は長い。1960年代なかば「プロボ」という名前のカウンターカルチャー運動がすでにストリートをキャンバス代わりに使っていた。1970年代後半、パンク・カルチャー出身の若いアーティストたちが腐敗した都市のストリートに絵を描いた。
「ノー・フィーチャー世代」の代表的アーティストはDr.Ratやヒューゴ・カーグマンで、彼らはステンシル・アートの先駆けでもあり、1978年に初めてステンシル作品を制作している。
ヤキ・コーンブリットは、ブレード、ドンディ、Futura 2000、ランメルジーといったニューヨークのグラフィティ・アーティストをアムステルダムに紹介し、80年代初頭に自身のギャラリーで展覧会も開催した。
ニューヨークのアーティストたちはアムステルダムの若者を刺激させ、そこから新しい世代のスタイルの作家が生まれ、後にドキュメンタリー映画『Kroonjuwelen』に記録された。Delta、Shoe、Jaz、Cat22、High、Again、Rhymeといったアーティストが影響を与えた。
1990年代初頭、アムステルダムはグラフィティ・ムーブメントの震源地となり、地下鉄に焦点を当て、Mickey、Zedz、Yaltなどの作家が活躍した。具象的なストリート・アートは世紀の変わり目ころから一般化してきた。Morcky、Wayne Horse、The London Police、Laser3.14といったアーティストたちがストリートを通してコミュニケーションをしていた。
●ノルウェー
ノルウェーでストリート・アートがさかんな町はベルゲンだった。英国のストリート・アーティストのバンクシーは、2000年にこの町を訪れ、ストリートに描かれた多くの作品から影響を受けた。バンクシーに影響を与えたドルクはベルゲンのストリート・アーティストで、彼の作品は地元ベルゲンで多数見られる。2009年のベルゲン市議会で、ドルクの作品の1つが保護ガラスで保存されることが決定した。
2011年、ベルゲン市議会は2011年から2015年にかけるストリート・アートの行動計画を着手し、「ベルゲンはノルウェーとスカンジナビアの両方で表現においてファッションとしてのストリート・アートをリードする」取り組みを明らかにした。
スタヴァンゲル市は毎年開催されるストリート・アートに特化したイベント「ニューアートフェスティバル」の開催地である。このフェスティバルは、世界で最も古い企画されたストリート・アートのためのイベントの1つである。また、「ニューアート・プラス」はストリートアートに特化した業界および学術シンポジウムを結び付けている。
●スウェーデン
スウェーデンは1990年代ころからストリート・アートが流行りはじめた。流行以降、ストリート・アートは公共空間で芸術を展示する最も人気のある方法となった。2007年に刊行されたベンケ・カールソンの『Street Art Stockholm』は、首都ストックホルムにおけるのストリート・アートを記録した本である。
●フィンランド
フィンランドのストリート・アート・シーンは1980年代から現れはじめ、ヘルシンキが1998年にあらゆる形式のストリートアートを違法にし、高額の罰金を科し、警備会社を通じて厳しく取り締まるゼロ・トレランス方式を始めるまで、急速に広がった。このゼロ・トレランス方式は2008年に廃案となり、以降、合法的な壁やアート・コレクティブが確立した。
●デンマーク
デンマークではウィートペーストやステンシルグラフィティなどのストリートアートが、2002年から2004年にかけてバンクシー、シェパード・フェアリー、FAILE、ベン・アイネなどのアーティストが訪れた後に急速に広がりはじめた。特にコペンハーゲンのノレブロやヴェスターブロなどが盛んである。コペンハーゲンは「Lock On」ストリート・アートというジャンルを紹介したTEJNのホームグラウンドでもある。
●スイス
スイスでは1970年代後半に芸術家のハラルド・ナジェリが壁や建物に落書きをしていた。90年代になるとToastやNEVERCREWといったアーティストが活躍しはじめた。
●ポーランド
ポーランドでは1989年の共産主義の崩壊を機にストリート・アートが流行しはじめた。ワルシャワやグダニスクは、活気に満ちたストリート・アートの文化を持つ都市として知られている。ウッチ市では、2011年にハンナ・ズダノフスカ市長の後援のもと「都市フォーラムギャラリー」と呼ばれる展覧会開催のための資金提供が行われた。この展覧会ではポーランドのストリート・アーティストや世界的に有名なアーティストの作品が展示された。
●ロシア
モスクワはロシアのグラフィティ・アーティストだけでなく、海外の訪問者のハブになりつつある。2008年にオープンしたストリート・キット・ギャラリーは、ストリート・アート専門のギャラリーで、ギャラリー内でイベント企画するだけでなく、ポップアップスペースや街の通りでイベントを開催している。
2009年モスクワ国際ヤングアート・ビエンナーレでは、ストリート・アートのセクションが設けられていた。ロシアの有名アーティストとしては、Make、RUS、またキエフをホームグラウンドとして活動しているInteresni Kazkiなどが挙げられる。英国のBBCネットワークは、2012年にモスクワのストリート・アーティストパヴェル183の作品を取り上げている。
●ジョージア
ソビエト連邦の解散後、ジョージアはストリート・アートを発展させるための魅力的な都市空間を残した。ジョージアでは比較的新しい傾向だが、ストリート・アートの人気は急速に高まっている。ジョージアのストリート・アーティストの多くはティビリシに集中している。
オセアニア
●メルボルン
メルボルンは、世界で最も活発で多様なストリートアート文化の中心地であり、なかでもステンシル・アートの聖地的な場所としてしられている。 Blek le Ratやバンクシーなどのステンシル系のストリート・アーティストは、2000年代にメルボルンのストリートで作品を展示することがよくあった。 作品は地元議会から支援を受け、保存されている。また、 市内の主要な場所には、ブランズウィック、カールトン、フィッツロイ、ノースコート、そして、有名なストリート・アートスポット「ホジエ・レーン」などが市内中心にある。
●パース
パースには小さなストリート・アートシーンがある。
●シドニー
シドニーのストリート・アートシーンには、ニュータウンエリアのグラフィテcいがしられている。
●ダニーデン
ダニーデンにあるサザンクロス・ホテル・ダニーデンの壁の壁画はニュージーランドにおけるストリートアートの公式な先駆者であり、1980年代に画家ジョン・ノケアスによって60を越える数のバスシェルターの壁画が描かれ、それらの多くは地元、またはその地域の名前に焦点を当てたものである。
ダニーデン市議会は、それ以来、街の周囲の電気ボックスを装飾するためにストリート・アーティストたちに、デザインの仕事を委託している。
特に倉庫地区と交換エリア周辺は、2000年代初頭に国際ストリートアートフェスティバルが開催され、人気スポットとなっている。代表的な作品は、ニュージーランドで最も背の高い作品の1つで7階建てのサザンクロスホテルの壁に描いたフィンタン・マギーの壁画がある。
クライストチャーチ市は、2010年と2011年に発生した2回の地震で壊滅的な被害を受け、その結果、8000の家屋と都市の80%が被害を受けた。震災から2年半がたってオーストラリアのストリート・アートのオーガナイザーであるOi YOU!がプロデュースし、カンタベリー美術館でRise Street Art Festivalを開催。
イベントには248,000人以上の訪問者(博物館の歴史上最も訪問されたショー)が集まり、荒廃した都市全体に15の壁画が描かれた。 壁画は、クライストチャーチ市の復興と再建のためのコミュニティの象徴となった。
ドキュメンタリー映画
・Rush(2005年)
オーストラリアのストリートアートやグラフィティの文化的価値を探るMuntiny Mediaによる長編ドキュメンタリー。
・Bomb It(2008年)
世界中のグラフィティとストリート・アートに関するドキュメンタリー映画。
・Exit Through the Gift Shop (2010年)
バンクシーによるミスター・ブレインウォッシュ主演のドキュメンタリー映画。
・Style Wars(1983年)
Seen、Kase2、Dez、DONDIを中心としたニューヨークのグラフィティ・アーティストに関するPBSドキュメンタリー。
・Obey Giant(2017年)
オーベイ衣料店の創設者で芸術家のシェパード・フェアリーに関するドキュメンタリー。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Street_art 2019年1月20日
・https://ja.wikipedia.org/wiki/キルロイ参上 2019年1月21日
・アゲインスト・リテラシー/グラフィティ文化論 大山エンリコイサム
・http://artscape.jp/artword/index.php/ゲリラ・アート
■画像引用
※1:https://en.wikipedia.org/wiki/Bleepsgr 2019年1月20日
※2:https://en.wikipedia.org/wiki/Rock_balancing 2019年1月20日
※3:https://ja.wikipedia.org/wiki/キルロイ参上 2019年1月21日
※4:http://www.avant-streetart.com/avant_street_art_1980s_New_York.htm 2019年1月21日
※5:http://www.artsobserver.com/2012/09/02/lady-aiko-puts-her-mark-on-the-bowery-mural-wall/
※6:https://en.wikipedia.org/wiki/I_AM_THE_BEST_ARTIST_Rene 2019年1月21日
※7:https://obeygiant.com/obama-hope/ 2019年1月22日