シェパード・フェアリー / Shepard Fairey
アメリカで最も重要なストリート・アーティスト
概要
シェパード・フェアリー(1970年2月15日生まれ)はアメリカのストリート・アーティスト、グラフィック・デザイナー、活動家、イラストレーター、スケートボード・シーンで人気のオベイ創設者。
彼はロード・アイランド・デザイン学校在学中の1989年に作成した「ポーズをとるアンドレ・ザ・ジャイアント」のステッカーを地元のスケーター・コミュニティで配布して有名になった。配布されたアンドレのステッカーはアメリカ中の多くの都市で見られた。
次いで2008年にバラク・オバマの大統領当選を記念したポスター『Hope』を制作して世界中で知られるようになった。
ボストン現代美術館は。彼を最も影響のあるストリート・アーティストの1人として評価しており、彼の作品は、ニューヨーク近代美術館をはじめ、ロサンゼルス現代美術館、サンティエゴ現代美術館、ナショナル・ポートレート・ギャラリー、スミソニアン博物館などアメリカの多くの現代美術館に収蔵されている。また、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館にも収蔵されている。
略歴
若齢期
シュエパード・フェアリーは、サウスカロライナ州チャールストンで生まれ育った。父ストレイト・フェアリーは医者で母シャーロットは宅地建物取引士だった。
ワンド公立学校卒業後、1984年からフェアリーはスケートボードやTシャツに絵を描くのをきっかけに芸術活動にたずさわることになる。1988年にカリフォルニア州アイディルワイルド=パイン・コーブにあるアイディルワイルド・アーツ・アカデミー高等学校を卒業。
1992年にロードアイランド・スクール・オブ・デザインのイラストレーション学部で美術学士を取得する。
「オベイ・ジャイアント」運動
フェアリーは1989年、ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン在学中に「ポーズを取るアンドレ・ザ・ジャイアント」というステッカーを適当な場所に貼り付ける運動をはじめる。
このステッカー運動は、もともとはクラスメートや大学生の間で注目を集めようと考えたちょっとした遊びだった。
しかし、実際にステッカーを見た人々の大半は、ただステッカーの存在に気づくだけにおさまらず、ステッカーに込められた意味をさぐりはじめたという。それは別段フェアリーが意図したことではなかった。
そこでフェアリーは、このステッカー運動を「オベイ・ジャイアント」と名称を変え、キャンパスから街へ、街から全米へ、さらにアメリカから国際的に広げていった。また、オベイ・ジャイアントに対して「人々の好奇心を刺激し、周囲の環境との関係に疑問を生じさせようとする」意図を含ませるようになった。
オベイ・ジャイアントのウェブサイトの解説によれば、「ステッカー自体には何のメッセージ性もなく、ただ人々の好奇心を集め、ステッカーの意味について考えるためだけに存在する」という。
また、一方で「ステッカーを熟知している人はそこにユーモアや楽しみを見つける人もいれば、ステッカーに込められた意味を解読しようとする人もおり、また地下カルト集団の破壊行動の1つとして非難する人もいるかもしれない」とも説明している。
1990年に書かれたマニフェストやウェブサイトに書かれたものによれば、フェアリーはマルティン・ハイデッガーの現象学の概念を作品に取り入れているという。
彼の「オベイ」というスローガンは映画監督ジョン・カーペンターの『ゼイリブ』に出演したプロレスラーのロディ・パイパーが、街中で何気なく見た広告「OBEY」という文字に変化したシーンを由来としている。
また、フェアリーはステッカー運動から派生してオベイの衣料ブランドもはじめている。彼はまたマーシャル・マクルーハンのフレーズ「メディウムはメッセージである」というスローガンも利用している。
シェパード・フェアリーはインタビューで、作品の一部はほかのストリート・アーティストから影響をされていると話している。
卒業後、自身のブランドの印刷会社を設立
大学卒業後、フェアリーはロードアイランド州のプロビデンスで、Tシャツやステッカー、シルクスクリーン制作に特化した「オルタネータ・グラフィクス」という小さな印刷会社を設立し、自身の作品をより拡大する事業を続けはじめた。
1994年、プロビデンス滞在中にフェアリーはアメリカの映画プロデュースサーで、フェアリーと同じロードアイランドスクールオブデザイン大学出身で映画学士を取得しているヘレン・スティックラーと出会う。
翌年の春、スティックラーはフェアリーと彼の作品に関する短編ドキュメンタリー映画『Andre the Giant Has a Posse』を制作。この映画は1995年のニューヨーク・アンダーグラウンド映画祭のほか、1997年のサンダンス映画祭で上映されった。現在まで70以上の映画祭や美術館で上映されている。
フェアリーはデイブ・キンゼイやフィリップ・デウォルフらとデザイン会社BLK/MRKT Inc.の設立メンバーの1人となった。1997年から2003年までこの会社で、低コストで慣例に囚われない手段(落書、ステッカー爆撃、フラッシュモブ)を使った広告戦略ゲリラ・マーケティングに特化した事業を行った。
当時のクライアント先にはペプシ、ハズブロ、ネットスケープがいた。なお、初期のmozillaで使われていた恐竜のマスコットやロゴはフェアリーがデザインしたものである。
デザイン会社「スタジオ・ナンバー・ワン」
2003年、フェアリーは妻のアマンダ・フェアリーとデザイン会社「スタジオ・ナンバー・ワン」を設立。
この会社では、ブラック・アイド・ピーズのアルバム『モンキー・ビジネス』や映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』のポスターなどを制作した。
ほかに、スマッシング・パンプキンズのアルバム『Zeitgeist』、フロッギング・モリーのCD/DVD『ウイスキー・オン・ア・サンデー』のカバーアート、レッド・ツェッペリンのコンピレーション・アルバム『マザーシップ』のカバーアートやコンサートフィルム『セレブレーション・デイ』のポスター、アンスラックスのアルバム『グレイター・オブ・ツー・エビル』のカバーアートを制作している。
2003年にはバンクシーやDmoteらとともにシドニーやアレクサンドリアの倉庫で展覧会を開催し、約1500人の人々が訪れた。
「反戦、反ブッシュ」シリーズ
2004年、アート集団「ポスト・ゲン」の「革命を起こそう」と呼ばれるストリート・アート運動のために『反戦、反ブッシュ』というポスターシリーズをストリート・アーティストのロビー・コナルやミア・ワンらとともに制作する。
なお、「革命を起こそう」運動は、ハリウッドのアヴァロンで、Z-Trip、オゾマトリ、David Jに焦点を置いたナイト・パフォーマンスから始まった。
フェアリーはまた2004年にロジャー・ガストマンと隔月のアート&カルチャー雑誌『Swindle』を創刊した。
「ニューヨーク・タイムズ」の芸術欄に紹介される
2005年にフェアリーは、Z-Tripと二度目のコラボレーションで『Shock and Awe』というタイトルのラッパーチャックDに特化したの12インチアルバムを制作した。
同年、DJシャドーとコラボレーションを行い、DJシャドーのTシャツ、ステッカー、プリント、ミックスCDがセットになったボックスを発売する。
同年、フェアリーは海外でも活動を行う。たとえば、パリのMagda Danyszギャラリーやハワイのザ・ホノルル・ミュージアム・オブ・アート・スポルディング・ハウスなどで作品の展示を行った。
2007年6月、フェアリーはニューヨークにあるロウブロウ・ポップシュルレアリスムのギャラリーで有名なジョナサン・リヴァイン・ギャラリーで個展『E Pluribus Venom』を開催。この個展は「ニューヨーク・タイムズ」誌の芸術欄の最前面をかざった。
バラク・オバマ大統領選挙応援ポスター
フェアリーは2008年のアメリカ大統領選挙期間中にバラク・オバマ候補を支援するポスター・シリーズを制作した。
最も有名なのは『Hope』というタイトルのポートレイト・ポスターである。『ザ・ニューヨーカー』の美術批評家ピーター・シェルダールは、ポスターについて「アンクル・サムのポスター以来、最も影響力のあるアメリカ政治のイラストレーション」と評価している。
ただし、『Hope』のポスターは、1人のストリート・アーティストによって非合法的で独立した状態にあるポスターであるため、オバマ陣営はこのポスターとの直接的な関係を持つことを否定した。
オバマ陣営は正式にポスターの制作や一般世間に対する普及への関与を拒否していたが、フェアリーのインタビューによれば、ポスター発表直後にオバマ陣営から直接連絡があったという。
フェアリーによれば当初は「PROGRESS」と書いていたが、オバマ側から「HOPE」に変え、また選挙期間中には合法的に新しい『Hope』版ポスターを配布してほしいと要請があったという。また、選挙期間中に『Hope』のほかに『Change』や『VOTE』といった言葉に焦点をあてたポスターを2枚追加で制作して公開している。
フェアリーは選挙期間中に30万枚のステッカーと50万枚のポスターを配布し、ポスターや美術の売り上げを通じて草の根の選挙資金を調達した。ポスターやステッカー制作で多くの資金を使っており、オバマ陣営から資金は一切提供してもらっていない」と2009年12月にフェアリーは説明している。
フェアリーは『タイム』誌の要請でバラク・オバマの新しいイメージを作成し、このイメージは『タイム』誌の2008年「パーソン・オブ・ザ・いやー」特集号の表紙に使われた。選挙で使われた『Hope』のポートレイトは、2009年2月の『エスクァイア』誌の表紙で使われ、このときのキャプションは「HOPE」ではなく「WHAT NOW?」に置き換えられていた。
2009年1月、『Hope』のポートレイトはナショナル・ポートレート・ギャラリーが購入し、同館における重要なコレクションの1つとなっている。2009年1月17日に公開・展示された。
2009年にフェアリーのオバマのポートレイトはバラク・オバマに特化したアートブック『Art for Obama』に収録された。
ネルソン・マンデラの壁画
2014年、フェアリーは9階建てのビルの壁にネルソン・マンデラと「パープル・レイン抗議」25周年記念に捧げたネルソン・マンデラの壁画を描いた。この壁画はヨハネスブルグのブラームフォンテンのユタ・ストリートにあるビルに描かれており、ネルソン・マンデラ橋のすぐ近くにある。
この壁画はアフリカでのフェアリーの初作品であり、バラク・オバマの『Hope』の続編として多くの人に認識されている。南アフリカ共和国のパトリック・ガスパール大使は、この絵は解放闘争とネルソン・マンデラが達成した自由への極めて平和的な移行を呼び起こすと語った。
マリアンヌの壁画
2015年11月のパリ同時多発テロ事件の犠牲者のための追悼作品として、フェアリーはフランス国家の象徴であり、「自由、平等、友愛」の標語であるマリアンヌのポスターを制作した。
2016年6月、フェアリーがデザインしたマリアンヌのイメージは、パリの国立通り186番地にある。
また、フェアリーはエマニュエル・マクロンにマリアンヌの絵のポスターを贈り、その絵はフランス大統領に就任した際に彼の事務所にかけられていた。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Shepard_Fairey 2018年12月19日アクセス
■画像引用
※1:https://obeygiant.com/obama-hope/ 2018年12月19日アクセス
※2:https://en.wikipedia.org/wiki/Shepard_Fairey 2018年12月19日アクセス
※3:https://en.wikipedia.org/wiki/Andre_the_Giant_Has_a_Posse 2018年12月19日アクセス
※4:https://www.widewalls.ch/shepard-fairey-obey-giant-cranbrook-art-museum/ 2018年12月19日アクセス
※5:https://en.wikipedia.org/wiki/Shepard_Fairey 2018年12月19日アクセス
※6:https://en.wikipedia.org/wiki/Zeitgeist_(The_Smashing_Pumpkins_album) 2018年12月19日アクセス
※7:https://en.wikipedia.org/wiki/Whiskey_on_a_Sunday_(album) 2018年12月19日アクセス
※8:https://obeygiant.com/prints/fairey-anti-bush/ 2018年12月19日アクセス
※9:https://jonathanlevineprojects.com/exhibits/shepard-faireye-pluribus-venom/ 2018年12月19日アクセス
※10:http://content.time.com/time/person-of-the-year/2008/ 2018年12月21日アクセス
※11:https://en.wikipedia.org/wiki/Nelson_Mandela_Mural_by_Shepard_Fairey 2018年12月21日アクセス
※12:https://frenchly.us/street-art-in-paris-what-goes-on-outside-the-louvre/ 2018年12月21日アクセス
※13:http://www.nouvelobs.com/galeries-photos/photo/20171016.OBS6072/en-images-la-marianne-de-macron-shepard-fairey-obey-artiste-star-et-engage.html 2018年12月21日アクセス