エゴン・シーレの作品一覧
感情と個性を描く表現主義の先駆者
世界的な画家であるエゴン・シーレは、唯一無二の芸術的な世界観を持つことで知られています。本記事では、シーレの作品を解説し、その独特な世界観を紹介します。クリムトの代表的な作品である「ホオズキと自画像」をはじめ、婚約者となった女性のポートレイトの詳細など、シーレの作品を詳しく解説します。
エゴン・シーレ(1890年6月12日-1918年10月31日)は、オーストリア出身の画家で、表現主義を代表する芸術家の一人です。彼はグスタフ・クリムトの弟子として学び、20世紀初頭の肖像画に革新をもたらしました。
シーレの絵は、見る人を引きつける強烈な個性と、生々しい感情表現が特徴です。特に、自分自身をモデルにしたセルフポートレートでは、その独特な視点が際立っています。彼の描く人物は、体が極端にねじれていたり、鋭い線で形づくられたりしており、そのスタイルは「表現主義」として知られています。
一部では、シーレの作品はエロティックで挑発的、さらには不安を感じさせると評価されることもありますが、彼の作品にはジェンダーやセクシュアリティを自由に表現する先進的な視点が見られます。当時の社会では保守的な価値観が主流でしたが、シーレはその枠にとらわれず、性やジェンダーの多様性を描き出しました。近年では、彼の作品を現代の「クィア」な視点から読み解く動きもあります。
日本では、漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の作者、荒木飛呂彦がシーレの影響を受けていることで知られています。シーレの作品は、初心者にも感情や個性の力強さを感じられる絵画としておすすめです。(シーレの生涯についてはこちら)
代表作
1912年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。
この自画像は、シーレ作品の中で最も人気のある作品のひとつであり、2023年東京都美術館で開催されたエゴン・シーレ展のメインビジュアルとして採用されている。本作はシーレが22歳、数多くの展覧会に参加していた時期に描かれたものである。(続きを読む)
1915年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。シーレは当初「男と女」または「絡み合う人々」と名付けていた。シーレにとって生涯のテーマであった「死」と「エロティシズム」を結びつけ、一体化させた非常に個人的な作品で、死と乙女の対比というルネサンス期のモチーフが使われている。(続きを読む)
1911年、シーレが21歳のときに出会った17歳の女性ワルブルガ・ノイジル(ウォーリー)で肖像である。ウォーリーは数年間、シーレの恋人でありモデルとなり、シーレの最も印象的な絵画の多くに描かれている。(続きを読む)
描かれているのはエゴン・シーレの婚約者エディトである。エディス・ハルムスは、シーレのアトリエの向かい側に住んでいた中産階級の鍵屋の娘だった。1914年、シーレは彼と長く交際していたウォーリーと親密な関係にあったにも関わらず、向かいに住んでいるエディトと恋愛関係を持ちはじめ、ついには婚約にいたる。(続きを読む)
その他の作品
印象的な黒と白の縞模様のドレスは、身体のほとんどを覆い隠し、オリーブのセーターは髪の色合いに似ている。 襟元のポップな赤が彼女の唇と頬の赤みを際立たせ、淡いブルーの瞳とのコントラストを成している。(続きを読む)
シーレがスペイン風邪で亡くなる直前に描いた最後の油絵。未完作品。エディス・シーレは、1918年10月28日、妊娠6ヶ月でスペイン風邪にかかり、子供は助からず、シーレ自身も3日後に同じ病気で亡くなった。(続きを読む)
『膝を曲げて座る女』は、紙に水彩、ガッシュ、黒のクレヨンを用いた作品で、モデルは彼の妻エディスです。この作品は、限定された色使い、空虚な白い背景、鋭いストロークを特徴とし、伝統的な美の概念を覆す独自の美学を体現しています。(続きを読む)
シーレはクリムトのひまわりと同様に太い茎や葉をつけたままの自然な姿で描いている。しかし、若い画家の常として、背景は空白のままである。そのため、花々は、何の慰めもなく、それ自体で存在感を示している(続きを読む)