サリー・マン / Sally Mann
寂しげでイノセントな子どもの写真
概要
生年月日 | 1951年生まれ |
国籍 | アメリカ |
表現 | 写真 |
公式サイト | http://sallymann.com/ |
サリー・マン(1951年生まれ)は、アメリカの写真家、巨大な白黒の写真や子どもの写真、崩壊や死を示唆する風景写真などの作品で知られており、アメリカで最も評価の高い写真家の1人。グッゲンハイム財団をはじめ世界中の有名美術機関で作品が収蔵されている。
彼女の主要作品の多くは、『12歳:少女のポートレイト』(1988年)、『イミディエット・ファミリー』(1992年)、『スティル・タイム』(1994年)など作品集に収録されている。
子どものヌード写真が特徴のため、アメリカ国内外の宗教保守派より児童ポルノであり児童虐待だとの激しい非難を浴び、論争を呼ぶこともある。
略歴
幼少期と初期作品
サリー・マンは、ヴァージニア州レキシントンで3人兄妹の末っ子、1人娘として生まれた。父のロバート・S.ムンゲーは総合診療医、母のエリザベス・エヴァンズ・ムンゲーはレキシントンのワシントン・リー大学で書店を経営していた。マンはつまり良い意味の放任主義の無神論者で思いやりのある父に育てられた。
マンは1969年にザ・パットニー・スクールを卒業し、ベニントン大学やフレンズ・ワールド・カレッジに入学しB.Aを取得。1974年にはホリンズ大学に入学し、1975年に美術学士を取得。その後、イギリスのパトニーに移りクラスメートのヌード写真を撮り始める。父はマンの写真活動を褒め称え、 父の5X7カメラは今日の彼女の巨大な写真の基礎となった。
卒業後、マンはワシントン・リー大学で写真家として働く。1970年代なかばから彼女は新しい法律学校ルイス・ホールの校舎の構造を撮影し、1977年にワシントンDCにあるコーコラン美術館で初個展を開催。当時、展示されたそのシュルレアリスティックな写真作品は、のち1984年に刊行された初作品集『Second Sight』に収録されている。
2冊めの作品集「12歳:少女のポートレイト」
1970年代、彼女の芸術感が成熟しつつある頃、さまざまなシーンを探求しつつ、1988年に刊行した12歳の少女たちをテーマにした二冊目の作品集『12歳:少女のポートレイト』で、彼女は本当に探求したいものを発見した。
彼女の二冊目の作品集『12歳:少女のポートレイト』はやや論争を引き起こした。それらの写真は、思春期の少女たちの困惑した感情や発達しつつあるアイデンティティを捉え、全体的には陰鬱な雰囲気で、どこか寂しげな物語を感じさせるなデュオトーン形式の写真群だった。のちの彼女の作品と異なり、まだ、ヌードに焦点は当てられていない。
本の序文で小説家のアン・ビーティーは「12歳の少女は、大人との関わりはほとんどないものの、望んでいることがある。自由や大人への欲求を抱いた少女は少し希薄になるような感じをつかむ。彼女の写真は世界を美化しているわけでもなく、また不愉快に感じさせるものでもない」と書いている。
このシリーズで撮影さた少女たちは「若々しさゆえに傷つきやすい」として見られるが、マン自身は成長する少女の強さに焦点を当てたという。
母親のボーイフレンドに寄り添って立つのを非常に嫌っている少女の写真がある。マンは女の子の肘の部分をはみ出して撮影しようとは思わなかったが、彼女が男に近寄るのを極端に嫌った。少女の母親は数ヶ月後に銃でボーイフレンドの顔を撃った。
裁判で母親は「夜に働きに出ているときに、彼は家でパーティをして娘に嫌がらせをしていたからだ」と証言している。その少女はもっと直接的に私に何かを伝えたかったのだという。
3冊目の作品集「Immediate Family」
マンの作品で最も多くの人に知られているのは、おそらく3番目の作品集『イミディエット・ファミリー』だろう。
1990年にシカゴのエドウィニー・ホーク・ギャラリーで初めて作品が展示され、1992年にその写真内容をモノグラフとして出版された。ニューヨーク・タイムズ紙は「たぶん歴史上の写真家で、アートワールドでこのような成功をおさめた人はいないだろう」と報じた。
この本では10歳未満の3人の子どもの65枚の白黒写真で構成されている。写真の大半は人里離れた川沿いの夏の休暇地で撮影されたもので、被写体となった子どもたちは裸で川を泳いで遊んでいるものとなっている。
大半の写真は典型的な子どものテーマ(裸で泳ぐこと、娯楽本の読書、ドレスアップ、ホラー、昼寝姿、ゲームを楽しむ姿など)に焦点を当てているが、不安、孤独、セクシャリティ、血を流している姿、死などを感じさせるテーマもある。そのため、米国でも海外でも児童ポルノや児童虐待として告発され、激しい非難を浴び、論争を呼んだ。
4冊目作品集「Still Time」
1990年代半ば、マンは湿板写真の8x10インチのガラスネガで風景写真を撮り始める。また同時に、以前に身体撮影に利用していた同じ100年ものの8x10インチベローズカメラを再び使い始めた。
これらの風景写真は1994年に刊行された4冊目の作品集『Still Time』に収録されている。のち1997年ニューヨークにあるエドウィン・ホーク・ギャラリーで開催した個展「サリー・マン:ジョージア州とヴァージニア州の近景」や、1999年に開催した個展「深淵なる南部:ルイジアナ州やミシシッピ州の風景」でもこれらの写真は展示された。
巨大な40×50の白黒印刷の写真の多くは、19世紀の湿板写真撮影、もしくはコロジオンをしいたガラス原板を硝酸銀に浸し、ぬれているうちに撮影し現像をする「コロジオンプロセス」という手法で撮影されている。
『ニューヨークタイムズ』紙は「不可思議ながらも明瞭な中心部分を持ったもやもやした霊的なイメージ」と評した。
5冊目の作品集「What Remains」
2003年に刊行されたマンの5冊目の作品集『What Remains』は、ワシントンDC州のコーコラン美術館で開催された同名の個展を基盤にしたもので5パートからなる。
最初のパートでは彼女の飼い犬イングリッシュ・グレイハウンド犬のエヴァの写真。2つ目のパートは、アメリカ連邦法医学施設で撮影した死や腐敗している身体の写真。3番目のパートは、武装した逃亡者が殺された場所を撮影した写真。4番目のパートは南北戦争時代のアメリカで最も多くの血が流れた場所であるアンティエタムの敷地の写真。そして最後のパートは彼女の子どもたちの顔をクローズアップした写真である。
つまり、全体として死、腐敗、希望と愛に満ちた死の終焉という流れになっている。