【美術解説】ロバート・メープルソープ

ロバート・メープルソープ / Robert Mapplethorpe

露骨な性表現で議論を起こした写真家


《デビッド・ホックニー》1976年
《デビッド・ホックニー》1976年

概要


生年月日 1946年11月4日
死没月日 1989年3月9日
国籍 アメリカ
表現媒体 写真
公式サイト http://www.mapplethorpe.org/

ロバート・メープルソープ(1946年11月4日-1989年3月9日)はアメリカの写真家。

 

大規模で高度に様式化されたモノクロームの形式で論議を起こすような露骨な写真表現を行う。著名人のポートレイト、男性と女性のヌード、セルフポートレイト、花の静物画などの主題に焦点を当てた作品がよく知られている。

 

最も社会的に物議を醸し出した作品は、ニューヨークの1960年代後半から1970年代にかけてのアンダーグラウンドBGSM(ボンテージ・ディシプリン・サディズム・マゾヒズム)シーンに焦点を当てた作品である。

 

彼の作品におけるホモエロティシズムは公費購入に値する芸術として適切かどうかという論争をアメリカ全土に巻き起こした

 

日本においてメープルソープの名前は、1994年にメープルソープの写真集「MAPPLETHORPE」の日本語版を日本で刊行し、その写真集を持参して渡米し、日本へ帰国した際に税関から輸入禁制品該当通知を受けた事件とその訴訟で話題になった。

略歴


メープルソープはニューヨーク、クイーンズのフローラルパークで、母ジョアン・ドロシーと父でエンジニアのハリー・アーウィン・メープルソープのあいだに生まれた。彼の祖先はイギリス、アイルランド、ドイツ系のルーツを持ち、ローマ・カトリック教の環境で育てられた。

 

ブルックリンにある高等学校プラット・インスティチュートに美術学士を取得するために入学し、そこでグラフィックアートを学んでいたが、1969年に退学しているため学士は取得していない。

 

メープルソープは、1967年から1972年まで親友で「パンクの女王」として知られるミュージシャンのパティ・スミスと同棲し、彼女はメープルソープが書店で働くようになるまで生活を支援していたという。2人はともに芸術を制作し、親密な関係を築いた。

 

メープルソープは1960年代後半、もしくは1970年代初頭にポラロイドカメラで写真を撮り始める。1972年にメープルソープはキュレーターのサム・ワッグスタッフと出会う。ワッフスタッフはその後、彼の生涯におけるメンターとなりパトロンとなり、また親友となった。

 

1970年代なかばにワッグスタッフはハッセルワルドの中判カメラを購入し、メープルソープはそのカメラで多くの友人たちや芸術家、ミュージシャン、ソーシャリストたちのポートレイト作品を撮影を始める。この時期、メープルソープはニューオーリンズの美術家ジョージ・デュローと知り合い、彼の作品から多大な影響を受けているという。

 

1977年から1980年までメープルソープは雑誌『ドラマー』の編集者でありジャック・フィッシャーの愛人となる。フィッシャはメープルソープにニューヨークのゲイクラブ「マインシャフト」を紹介する。

 

1980年代までにメープルソープの主題はおもに男性と女性のヌード、花、静物画、芸術家やセレブのポートレイトとなった。

 

メープルソープは1989年3月9日、ボストンのマサチューセッツ病院でエイズのため42歳で死去。火葬され、灰はニューヨークのクイーンズにあるセントジョーンズ墓地にある母親の墓地と同じ場所に埋葬された。

《Derrick Cross》1986年
《Derrick Cross》1986年
《Calla Lily》1987年
《Calla Lily》1987年
《アンディ・ウォーホル》1986年
《アンディ・ウォーホル》1986年