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【作品解説】ピエール=オーギュスト・ルノワール「イレーヌ・カーン・ダンヴェールの肖像」

イレーヌ・カーン・ダンヴェールの肖像 /Portrait of Irène Cahen d'Anvers

日本で人気を博したルノワールの代表作


ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェールの肖像》(1880年)
ピエール=オーギュスト・ルノワール《イレーヌ・カーン・ダンヴェールの肖像》(1880年)

ルノワールの代表作である「イレーヌ・カーン・ダンヴェール」の肖像を解説いたします。この作品は、世界中で人気を博し、日本でも国立新美術館で展示されています。本記事では、「イレーヌ・カーン・ダンヴェール」の背景や来歴などを中心に解説します。また、ルノワールの生涯と作品を振り返り、肖像画のテーマについても考察していきます。それでは、ルノワールの「イレーヌ・カーン・ダンヴェール」を深く理解していきましょう。

概要


作者 ピエール=オーギュスト・ルノワール
制作年 1880年
メディウム キャンバスに油彩
主題 イレーヌ・カーン・ダンヴェール
サイズ 65 cm × 54 cm
所蔵者 財団法人E.G.ビュールレ

《イレーヌ・カエン・ダンヴェールの肖像》はフランスの印象派画家ピエール=オーギュスト・ルノワールが、1880年に制作した油彩作品。『青いリボンの少女』『小さなイレーヌ』と呼ばれることもある。

 

1880年、フランスのユダヤ系富豪ルイ・カエン・ダンヴェールが依頼し、娘のイレーヌ・カエン・ダンヴェールが8歳の時に描かれた作品である。

 

第二次世界大戦中、ナチスがヨーロッパ諸国を組織的に略奪した際に、この絵は盗まれた。

1946年に見つかり、「ドイツで見つかったフランスの名画」のひとつとしてパリで展示された。

 

1870年代から80年代にかけて、ルノワールはパリのユダヤ系家族のためによく肖像画を描いていた。ルノワールは、『ガゼット・デ・ボザール』誌の経営者である収集家のシャルル・エフルッシを通じて、ルイ・カヘン・ダンヴェールと知り合った。カエン・ダンヴェール家は、パリで最も裕福なユダヤ人銀行家の一つであった。

 

1880年、ルイ・カヘン・ダンヴェールは3人の娘たち(長女はイレーヌ)の肖像画を2点注文した。次女のアリスとエリザベスは、後にルノワールの絵画の主題となり、現在では一般に《ピンクと青》として知られている。

ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピンクと青》(1881年)
ピエール=オーギュスト・ルノワール《ピンクと青》(1881年)

《イレーヌ・カエン・ダンヴェールの肖像》は、今日、ルノワールの代表作の一つとして考えられているが、当時、ルイは理由は不明だがこの絵が気に入らず、使用人の部屋に飾り、ルノワールへの1500フランの支払いを遅らせた。

 

1883年、ポール・デュラン=リュエルのカプシーヌ大通りの画廊で開催された初のルノワール専門展覧会に出品された。1910年には、1891年にイレーヌが嫁いだ裕福なカモンド家がこの絵を購入した。

 

第二次世界大戦でフランスが崩壊すると、この絵はシャンボール城からナチスに略奪され、他の多くの重要なヨーロッパ美術品と同様にヘルマン・ゲーリングのコレクションの一部になった。

 

その後、ヘルマン・ゲーリングがグスタフ・ロホリッツとこの絵画をルネサンス期のフィレンツェのトンド作品と交換した。

 

戦後の1946年、《イレーヌ・カエン・ダンヴェールの肖像》は再発見され、「ドイツで見つかったフランスの名画」のひとつとしてパリで展示された。

 

その後、この絵画は、ナチスに盗まれた他の数多くの美術品とともに、ドイツ出身のスイス人実業家で美術品収集家、戦時中にドイツ軍に製品を供給していた軍需企業エリコンのCEOであるエミール・ゲオルグ・ビューレに譲渡された。

 

2014年には、映画『モニュメント・メン』に、モニュメント、美術品、アーカイブスプログラムによって保存された美術品の一つとして登場した。

 

2018年、日本でもこの作品が、E.G.ビュールレ・コレクションから貸し出された印象派作品シリーズの一つとして、国立新美術館で展示され、人気を博した。


■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Portrait_of_Ir%C3%A8ne_Cahen_d%27Anvers、2023年2月7日アクセス