医師ガシェの肖像 / Portrait of Dr. Gachet,
ファン・ゴッホの最後の担当医
概要
作者 | フィンセント・ファン・ゴッホ |
制作年 | 1890年 |
メディア | カンヴァスに油彩 |
サイズ | 67×56cm |
所蔵者 | ジークフリート・クラマラスキー |
《医師ガシェの肖像》は1890年にフィンセント・ファン・ゴッホによって制作された油彩作品。ゴッホ死ぬ前の数ヶ月間、世話をしていたポール・ガシェ医師を描いたものである。
1890年6月にオーヴェル=シュル=オワーズで制作した2つのバージョンが存在し、両方ともガシェは右手をテーブルにひじをかけて頭を支えているが、色味や表現方法についてはかなり異なる。
1990年5月15日に最初のバージョンはニューヨークのクリスティーズ・オークションで8250万ドルで落札された。
制作背景
1890年にファン・ゴッホの弟のテオは、当時ファン・ゴッホが入院していたサン・レミ療養所から退院したあとの生活場所を探していた。カミーユ・ピサロから、画家でもあり精神科の医師でもあるガシェが画家との共同作業に関心を持っていると知らされ、カミーユ・ピサロのすすめでゴッホはガシェのオーヴェル=シュル=オワーズへ移ることになる。
ファン・ゴッホのガシェの最初の印象はよくないものだったという。テオへの手紙でゴッホは「ガシェ医者は全く信頼できないとおもう。まず第一に彼は私よりも病気だとおもう。もしくは同じ程度だろうか、そういうことだ。盲人が別の盲人を導くと、二人とも谷に落ちはしないか?」と書いている。
しかしながら、二日後に妹のヴィルへの手紙では「非常に神経質で、とても変わった人だ。体格の面でも、精神的な面でも、僕にとても似ているので、まるで新しい兄弟みたいな感じがして、まさに友人を見出した思いだ」と書いている。
当時のゴッホは、精神病院に幽閉されたトルクァート・タッソを描いたウジェーヌ・ドラクロワの作品を思い描いていた。ポール・ゴーギャンとフランスのモンペリエを訪れたあと、ファーブル美術館にあるアルフレッド・ブリャスのコレクションを見たあと、ファン・ゴッホはテオにリトグラフ作品が手に入らないか尋ねている。
入院して3ヶ月半がたった後も、ゴッホは描きたかった肖像画の種類の代表例の1つとして、その作品を思い続けていた。「しかし、ドラクロワが試みて描きあげた牢屋のタッソの方がより調和に満ちている。他の多くの絵と同様、本当の人間を表現しているのだ。ああ、肖像画! 思想のある肖像画、その中にあるモデルの魂、それこそ実現しなければならないものだと思う。」とゴッホはテオに手紙を書いている。
ファン・ゴッホは1890年に妹に絵についてこのように書いている。「私は医者ガシェの肖像を憂鬱さを帯びた表現で描いた。見る人によっては顔をしかめるかもしれない。悲しいが優しく、はっきりと知性を感じさせる作品だ。おそらく100年後に評価されるかもしれない。」
精神科医ポール・ガシェとは
モデルになっているのフランスの精神科医のポール・ガシェ(1828年7月30-1909年1月9日)である。彼は美術愛好家であり、自身でも絵を描くアマチュアの画家であった。1958年、30歳のときに論文「鬱の研究」で医学博士号を与えられ、同年秋にパリのモントロン通りに診療所を開き、「女性と子どもの神経症の特別治療」を掲げて開業する。
1870年に父が死去すると、多額の金利収入が入るようになり、診療の仕事に不熱心になり、画家、詩人、音楽家との交流に傾斜するようになったという。
■参考文献
・Portrait of Dr. Gachet - Wikipedia、2017年7月10日アクセス