アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I / Portrait of Adele Bloch-Bauer I
クリムト「黄金時代」後期で最も完成度の高い作品
概要
作者 | グスタフ・クリムト |
制作年 | 1907年 |
メディウム | 油彩、キャンバス、金箔 |
サイズ | 138 cm × 138 cm |
コレクション | ノイエ・ガレリエ |
《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》は1903年から1907年にグスタフ・クリムトによって制作された油彩作品。金箔が多用されている。
本作品は、クリムトの「黄金時代」後期における最も完成度の高い作品である。クリムトによるブロッホ=バウアーの全身肖像画は2作品存在しているが、これは最初の作品である。2作品目は1912年に完成した。これらの2つの作品は一家が所有していた作品の1つである。アデーレは1925年に亡くなった。
2006年にブロッホ=バウアーの相続人による8年に及ぶ努力の末、絵画は親族に返却された。同年6月に1億3500万ドルでエスティ・ローダー社社長(当時)のロナルド・ローダーに売却され、現在はニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵している。
モデル
モデルはアデーレ・ブロッホ=バウアー(1881年-1925年)。ウィーン社交界のセレブであり、クリムトのパトロンであり、クリムトの親友である。
タイトルは一度変更されたことがある。オーストリアを併合したナチスドイツがブロッホ=バウアー家から絵画を押収した後、1940年代初頭に作品を展示するさいに、描かれている女性が著名ユダヤ系一家の女性であることが分からないよう《黄金で包まれた女性》というタイトルに変更された。
この作品は、アデーレの夫フェルナンド・ブロッホ=バウアーの注文で制作されたものである。フェルナンドはユダヤ系の銀行員でまた砂糖産業で巨万の富を築いた実業家で、クリムトの重要なパトロンの1人だった。
クリムトは絵の完成に3年を要しており、準備を含めると1903年4月から制作を始めている。キャンバスサイズは138cm✕138cmで油彩と金箔が使われ、アール・ヌーヴォー様式で絵全体に豪華で緻密な装飾が施されている。
アデーレ・ブロッホ=バウアーは、唯一クリムトの絵のモデルに2度なった女性であり、二作目は1912年の《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 Ⅱ》である。
技法・表現
クリムトのこれまでの美術趣味がすべて含まれている。黄金を利用した豪華で装飾的な画面と輪郭線を用いた平面的な空間表現、それに伝統的で写実的な顔だちである。
男には正方形の装飾パターン、女には円形の装飾パターンを用いる。ほかに渦巻き、ビザンツ様式のモザイク装飾、琳派やミュケナイ美術のような渦巻き模様で構成されている。
さらにこの衣装には《接吻》にはない三角型の無数の見つめる目が中央にたくさ描かれているが、これはエジプト美術の影響と考えられている。
所有権争い
生前のアデーレの意向ではクリムト作品はオーストリア・ギャラリーに寄贈する予定だったが、作品の所有者は夫フェルナンドであり、彼女ではなかった。
ナチス・ドイツによる侵攻でオーストリアが併合されたあと、フェルナンドはスイスへ亡命する。亡命時には美術品を含めた大量のコレクションがウィーンに残されたままだった。
本作品はフェルナンドに対して脱税告発が行われた後、1941年にほかに残っているフェルナンドの遺産とともにナチスに没収されることになった。フェルナンドの美術作品や財産、製糖事業の売上から生じた資産は、税金請求として差し押さえられた。
ドイツ州を代表して行動した弁護士は、生前のアデーレの意向に沿いオーストリ・ギャラリーに本作品を寄贈することにした。
フェルナンドは1946年に死去。生前のフェルナンドの意向では、彼の財産は甥と2人の姪に受け継ぐ予定だった。
こうした経緯があって、オーストリア政府とアメリカ在住の姪マリア・アルトマンでクリムト作品の所有権争いが発生する。裁判の結果、姪のマリア・アルトマンにクリムトの絵5点(そのうちの1つがアデーレの絵)の所有権を認めることになり、クリムトの絵5点はアメリカに送られた。
ローダーに売却される2006年まで《アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I》はロサンゼルスで展示され、2006年6月に156億円で、エスティ・ローダー社社長(当時)のロナルド・ローダーに売却。現在ニューヨークのノイエ・ギャラリーが所蔵している。