泣く女 / The Weeping Woman
ゲルニカと女の苦しみ
概要
作者 | パブロ・ピカソ |
制作年 | 1937年 |
メディウム | カンヴァスに油彩 |
サイズ | 60 cm × 49 cm |
コレクション | テート・モダン |
《泣く女》は1937年にパブロ・ピカソによって制作された油彩作品。60 cm×49 cm。ピカソは「泣く女」という主題に関心を抱き、その年に何度も同じテーマの作品を制作、100種類以上のバリエーションが存在している。
本作は「泣く女」シリーズの最後の作品で、最も完成度の高い作品とされている。1987年以来、イギリスのテート・モダンが所蔵している。
モデルとなっているのは愛人のドラ・マールである。ドラ・マールは1936年にピカソと出会い、プロ写真家として生活していた。彼女はピカソが1937年に制作した《ゲルニカ》に唯一立ち会い、ピカソの制作に協力した写真家だった。彼女との関係は1944年まで続いた。
ドラ・マールは感情的な女性で、すぐにシクシクと泣く人だった。
「私にとってドラはいつも「泣いている女」でした。数年間私は彼女の苦しむ姿を描きました。サディズムではなく、喜んで描いているわけでもなく。ただ私自身に強制されたビジョンに従って描いているだけです。それは深い現実であり、表面的なものではありませんでした。」
そして「泣く女」は、ドラのポートレイトであると同時に、同年に制作されたスペイン市民戦争におけるドイツ軍による空爆図《ゲルニカ》の後継作であることも重要である。「泣く女」と「ゲルニカ」は互換性のある作品で、ピカソは空爆の被害を受けて悲劇的に絶叫する人々の姿、特に死んだ子どもを抱いて泣く女を基盤にして描いたのが「泣く女」である。ドラ・マールをはじめ泣く女とをダブル・イメージで描いていた。
ちなみに抱いている子どもはピカソとマリー=テレーズの間の子どもであるとされ、隣の牛はピカソ自身を表している。この時期、ピカソは自分自身の象徴するものとして、それまでの道化師からミノトールに移り変わっていた。