性愛
レオナルドは、セシリア・ガレラーニとの交友関係や、フェラーラ公エルコレ1世・デステの娘で、マントヴァ侯妃イザベラとミラノ公妃ベアトリーチェの姉妹の交友関係を除いては、女性との親密な関係はなかったと思われる。
マントゥーアの旅行中に、イザベラの肖像画を描いたと思われるが、それは現在は消失している。しかし2013年10月、スイス銀行の貴重品保管庫から彩色された肖像画が発見され、当局に押収された。レオナルド研究家であるペドレッティ教授の鑑定では、レオナルドの真筆であることはほぼ間違いないとみられている。
レオナルドは私生活を秘密にしていた。彼のセクシュアリティは、風刺、分析、推測の対象となってきた。レオナルドのセクシャリティの分析は16世紀半ばに始まり、19世紀から20世紀にかけて再燃したという。特にジグムント・フロイトの『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼少期の記憶』が有名な批評である。
レオナルドと最も親密な関係を築いていたのは、おそらく弟子のサライとメルツィであろう。メルツィは、レオナルドの兄弟にレオナルドの訃報を知らせるため手紙を書いており、そこで、レオナルドの弟子たちへの気持ちは愛情と情熱の両方があったと語っている。
弟子とレオナルドの関係は、性的またはエロティックな性質のものであったと16世紀から主張されている。1476年、彼が24歳の時の法廷記録には、レオナルドと他の3人の若い男性が、有名な男性娼婦が関与した事件でソドミーの罪に問われたと記録されている。
告訴は証拠不十分で却下されたが、被告人の一人であるリオナルド・デ・トルナブオーニがロレンツォ・デ・メディチと親戚関係にあったことから、メディチ一族がその影響力を行使して告訴を取り下げたと推測されている。
その事件以来、レオナルドの同性愛疑惑や芸術表現おける同性愛についてさまざまな書かれてた。特に『洗礼者聖ヨハネ』と『バッカス』といった絵画作品、そしてより明確にはエロティックなドローイング作品で証拠が残っている両性具有的な性愛表現にエロティシズムについて批評されてきた。