パヴェル・チェリチェフ / Pavel Tchelitchew
アウトサイダーな人たちを描くシュルレアリスト
概要
パヴェリ・チェリチェフ(1898年9月21日-1957年7月31日)はロシアの画家、デザイナー、ファッションデザイナー
モスクワの大地主富裕層の家庭に生まれ、家庭教師の教育で育つ。幼少の頃からバレエと芸術に興味を抱いた。1918年にキエフ美術アカデミーで学び、1920年にロシアを去り、1921年から1923年までベルリンで生活、1923年にパリへ移る。
パリでチェリフェフはガートルード・スタインを介してシットウィル家やゴーラー家と知り合う。特にエディス・シットウィルは長年の親密な友情を結んだ。ガートルード・スタインからは「ピカソの次ぐ才能の持ち主」と称賛され、高い評価を受ける。1920-30年代パリのエリートや前衛芸術家からなる同性愛サークルの主要メンバーの一員となった。
1926年、活動初期に傾倒していた抽象美術と決別し、ネオ・ロマンティック主義者らと展覧会を開催。2年後、ディアギレフのバレエ「繚歌」の舞台美術を担当。同時にシュルレアリスムグループに接近し、アンドレ・ブルトンやサルバドール・ダリと親しくなる。しかし、アンドレ・ブルトンから酷評を受ける。当人は自作をシュルレアリスム呼ばわりされることを否定し、ブルトンへの皮肉と当てこすりを込めて「悪趣味王子」を自称したこともある。
チェリチェフ作品がはじめてアメリカで展示されたのは、1930年のニューヨーク近代美術館開館時で、ほかの芸術家たちとともにドローイングが展示された。1934年に愛人のチャールズ・ヘンリー・フォードとともにパリからニューヨークに移る。1940年から1947年までチェリチェフはシュルレアリスム雑誌『View』にイラストレーションを描いていた。なお、編集長はチャールズ・ヘンリー・フォードだった。
チェリチェフの代表的作品は1940年から1942年に制作された油彩作品「かくれんぼ」である。現在はニューヨーク近代美術館が所蔵しているこの作品は199.3x215.3cmもある作品で、アンチンボルドのようなさまざまな構成分子があいまいに結合されて1つになっている「同時イメージ(simultaneous image)」が特徴で、ダリのダブルイメージの延長にある技法である。
アメリカ移住直後の作者がマンハッタンでフリークショウを見物したときの感動にうながされて制作を開始し、下絵から完成まで足掛け4年を費やした大作が「フェノミナン」(1936-38)だ。
ピンヘッドの鳥女「クークー」、多毛症のライオン王子「ライオネル」、キノコあたま、あざらし男「シーロ」。レオノール・フィニーが象皮病娘、作者の終世の恋人で文学者のチャールズ・アンリ・フォードが蜘蛛男、ガートルード・スタインが牛女、ピョートル大帝は巨大赤ちゃんといった具合に、多くの知人や有名人もフリークス芸人として登場している。そして、画面の右下隅でキャンバスに向かい絵筆を握っている、極度に足のどデカい大足人は、作者自身の自画像なのだ。
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