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【作品解説】ジョルジュ・スーラ「モデル」

モデル/ Models

モデル仕事をしている女性のリアルを描写


ジョルジュ・スーラ『モデル』,1886-1888年
ジョルジュ・スーラ『モデル』,1886-1888年

概要


作者 ジョルジュ・スーラ
制作年 1886-1888年
サイズ 200 cm × 249.9 cm
所蔵者 バーンズ財団

『モデル』は、1886年から1888年にかけて描かれたジョルジュ・スーラの作品であり、1888年春の第4回サロン・デ・アンデパンダンに出品されました。この絵は、スーラの代表作の1つとして高く評価されています。フィラデルフィアのバーンズ財団がこの作品を所蔵しています。

 

スーラの絵画技法は独特で、一部の批評家は点描で描かれた作品について「風景画を描くには素敵だが、生身の人間の姿を描こうとすると失敗するだろう」と批判していました。それに対し、スーラは同じモデルのヌードを3つの異なるポーズで描くことで反論しました。

 

なお、絵の背景左側に描かれているのは、スーラが1884年から1886年にかけて制作した『ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後』の一部です。『ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後』の一部が描かれているのは、両作品を結びつける役割を果たしてます。

 

当時、批評家たちはほとんど評価しませんでした。「点描画の手法で描かれた3人の裸婦が、虹色で塗りつぶされた哀れな骸骨を晒しているアトリエ」と酷評するものもいました。しかし、現在『モデル』は、その点描画的な技法と女性の裸体を描いた政治的な意味合いから、特異な作品として高く評価されています。

モデル仕事をしている人たちの現実を描写


原題『Les Poseuses』は、大まかに訳すと「ポーズをとる女性たち」となります。このタイトルを「モデル」と訳すと、本来の意味が一部不明瞭になってしまいます。

 

このタイトルは、絵画の中でモデルたちがポーズをとっている瞬間を描いたものではなく、彼女たちが休憩しているときの様子を描いている可能性もあります。そのようなタイトルが付けられることで、絵画の主題との対比が生まれます。

 

スーラは人物を理想化せずに描きました。彼女たちがモデルとしての仕事をしている普通の現実を描くことで、彼女たちのリアリティを強調しています。

 

彼女たちは単に「ミューズ」としてのモデルではなく、お金を稼いでいる女性なのです。学者たちは、このアプローチが伝統的に女性が絵画の中で対象化されてきた方法に複雑な変化をもたらしていると指摘しています。

1億4920万ドルで落札された高額作品


ポール・G・アレンが所有していた分割主義で描かれた小さなバージョン。
ポール・G・アレンが所有していた分割主義で描かれた小さなバージョン。

スーラは『モデル』という作品を2点描きました。1つは大型のもので、それはバーンズ財団に所蔵されています。もう1つは小さなバージョンであり、スーラ自身が考案した分割主義技法で描かれており、スーラの専門家から高い評価を得ました。

 

この小さなバージョンは、1991年にメトロポリタン美術館で開催されたスーラ展のカタログの表紙を飾りました。

 

小さなバージョンはかつて商人のハインツ・ベルクグルーエンが所有していましたが、後にポール・アレンのコレクションに加わり、その後ポール・アレンの遺産となりました。

 

2022年11月、クリスティーズ・オークションハウスは、ポール・G・アレン・コレクション・オークションの一環としてこの作品を競売にかけ、手数料込みで1億4920万ドルで落札されました。

スーラの経歴


スーラは1878年にエコール・デ・ボザール(パリ国立美術大学)に入学し、その後アンリ・レーマンに師事しました。スーラはポール・シニャック、アルベール・デュボア=ピレ、オディロン・ルドンなどの芸術家たちとともに、国家主催のサロン展に代わるものとして設立されたサロン・デ・アンデパンダンの責任者でした。

 

スーラの作品では、1884年の『ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後』が最もよく知られています。この作品は1886年に最後の印象派展に出品された後、サロン・デ・アンデパンダンにも出品されました。

 

『ラ・グランド・ジャット島の日曜日の午後』は新印象派運動の始まりとして知られています。スーラは、ほぼ科学的な方法で絵の具の表面を色の点に分割し、遠くから見ると混ざり合う点描の技法(分割主義)で評価されています。




■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Hope_II、2023年1月5日アクセス