モーリス・ユトリロ / Maurice Utrillo
パリの風景画で人気のエコール・ド・パリの画家
概要
モーリス・ユトリロ(1883年12月26日-1955年11月5日)はフランスの画家。素朴な都市の風景画で知られている。
フランス、パリのモンマルトル地区で生まれたユトリロは、モンマルトル出身の数少ない著名画家である。
パリのモンマルトル地区近郊の曲がりくねった通りや路地の風景を好んで描いた。美術史ではエコール・ド・パリの作家として位置づけられている。
ユトリロは、芸術家でアートモデルをしていた母スザンヌ・ヴァラドンの息子として生まれた。スザンヌは父親は誰かを明らかにしていない。ボワシーという名の若いアマチュア画家や、著名画家のピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、またはピエール=オーギュスト・ルノワールとの情事で生まれたという噂もある。
1891年に、スペインの芸術家ミゲル・ユトリロ・イ・モリンスが、父親であること認める法的文書に署名しているが、彼が実際に本当の父親がどうかは疑問が残っている。
ブランコの転落事故が原因でサーカス曲芸師をやめ、アートモデルに転向した母ヴァラドンは、ベルト・モリゾ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アンリ・ド・トゥールズ・ロートレックなどのモデルをしながら、自身も芸術家になるべく絵を学ぶ。技術を習得するため、場合によっては著名芸術家たちの愛人にもなった。
ヴァラドンは独学で絵画を学び、トゥールズ・ロートレックがエドガー・ドガに彼女を紹介すると、ドガは彼女の指導者になった。その後、彼女はモデルをした芸術家たちの仲間になった。
とかくするうちに、ヴァラドンはモリンスの育児を放棄するようになり、祖母に息子を預ける。その後、モリンスは不登校児になり、またアルコール依存症に陥り、多くの精神障害(暴力、認知症など)を引き起こすようになった。
1904年、21歳のときにユトリロは精神疾患にかかると、母ヴァラドンは精神疾患の治療もかねて絵を描くことをすすめる。ユトリロはすぐに芸術的才能を開花させた。母親からの教え以上の教育なしで、独学でユトリロはモンマルトルの風景を描きはじめた。なお、直接的な指導はないがアルフレッド・シスレーやカミーユ・ピサロといった印象派画家から影響を受けている。
アルフォンス・クイゼトと出会った1910年以降、ユトリロは本格的に絵を描き始める。その後、ユトリロの作品は大きな注目を集め、1920年までに国際的に評価されるようになった。数十年で数百枚の絵を描いているが、盗作も多く見受けられる。
1928年、フランス政府はユトリロにレジオンドヌール勲章を授与。
しかし、彼は生涯を通じて、精神病院の入退院を繰り返した。
今日、モンマルトル地域への観光客は、ユトリロの絵の多くをポストカードから発見する。彼の作品なかでも、特に1936年の《モンマルトル通りの角》や《ラパン・アジャイル》とは非常に人気が高い。
ユトリロは中年頃から宗教に熱を入れはじめ、1935年、52歳でルーシー・ヴァロアと結婚し、パリ郊外のル・ベジネットへ移る、そのころまでに、彼の病状はかなり悪くなっており外出できなくなっていたため、部屋の窓から見える都市風景を描いたり、またポストカードや記憶を源泉に絵画制作をした。
生涯、アルコール依存症に悩まされていたが、70歳まで生きた。ユトリロは、1955年11月5日、ダックスのホテル・スプレンディッドで肺炎で死去。モンマルトルのシメティエール・サンヴァンサンに埋葬された。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Maurice_Utrillo、2020年2月12日アクセス