リッタの聖母 / Madonna Litta
ミラノ貴族リッタ家の聖母バージョン
作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
制作年 | 1480年 |
サイズ | 103 cm × 75 cm |
メディウム | くるみパネルにテンペラと油彩 |
所蔵者 | ヴァチカン美術館 |
《リッタの聖母》は1490年にレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作されたテンペラ画。サンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館に所蔵されている。
《カーネーションの聖母》のように、2つのアーチ型の開口部がある暗い屋内に人物が描かれており、部屋の向こうには上空からの山の風景が描かれている。キリストが左手に抱えているのは、将来における受難を象徴するゴシキヒワである。
作者については学者の間でも意見が分かれており、ジョヴァンニ・アントニオ・ボルトラッフィオやマルコ・ドッジョーノなどレオナルドの弟子の作品とする説もあるが、エルミタージュ美術館ではレオナルドの作品とみなしている。
絵のタイトルはミラノの貴族だったリッタ家から由来している。
歴史
《リッタの聖母》はレオナルドの最初のミラノ時代(1481-3〜1499)以前、またはその間にレオナルドのアトリエで記録された聖母子の絵画の一枚かもしれない。
ウフィツィ美術館の図面では、レオナルドは1478年後半に「2人の聖母マリア」の制作を始めたと記されており、1482年に書かれたアトリエの目録にサイド2点の聖母画に関する記述がある。
これらのうちの2つ目の作品は、さまざまな解釈があるが、「横顔でほぼ完成した」または 「ほぼ横顔で完成した」と記載されている。《リッタの聖母》の聖母の頭部はどちらの方法で描かれていないので、レオナルドの最初のフィレンツェ時代に描かれたもので、後にミラノで弟子たちの手で完成されるまで未完成のままだったのではないかと議論されている。しかし、科学的分析によれば、この絵は画家が1人で描いたものであると示唆している。
《リッタの聖母》の準備のために描かれた下絵のドローイングがいくつか残っている。そのうちの1つはレオナルドが描いたとされており、ルーブル美術館のCodex Vallardiに収められている若い女性の顔を銀筆で描いている。
この下絵がレオナルドの工房で生徒に講義するための模範として使用された証拠が残っている。裏は別の芸術家がペンとインクで顔の輪郭をトレースしている。これは、レオナルド自身が構図を組み立てるときに活用していたテクニックである。