劉野 / Liu Ye
普遍的な言語で内面を描写する中国現代美術家
概要
生年月日 | 1964年生まれ |
国籍 | 中国 |
職業 |
画家、現代美術家 |
代表作 |
・Qi Baishi Knows ・Mondrian , Once Upon a ・Time in Broadway |
関連サイト |
・Artnet(作品リスト、作者詳細) |
劉野(リュウ・イ:1964年生まれ)は北京を拠点に活動している中国人画家。
明るい色彩の子どものような女性の肖像画や彼の好きなキャラクターのミッフィーうさぎ、抽象絵画の巨匠ピエト・モンドリアンへのオマージュ的な作品で知られている。
リュウ・イは文化大革命期に育ったアーティスト世代の1人であるが、同世代のほかの高く評価されている中国の現代美術家たちと異なり政治的なメッセージはない。
リュウ・イは、外の中国現代社会よりも彼は普遍的な言語を使って内面的な世界を描写する方を好む。彼の作品は中国だけでなく、ヨーロッパやアメリカでも広く展示されている。
2019年10月、サザビーズ香港で出品された2001年から2002年にかけて制作された少女が煙草を手にしている作品《Smoke》は665万ドルで落札された。2020年にニューヨークにある最も有名な画廊デビッド・ツヴィルナー画廊での個展が予定されている注目の中国現代美術家だ。
略歴
幼少期
劉野は北京で生まれ育った。彼の父親は児童書作家で、毛沢東の文化大革命期に実行された上山下郷運動で田舎に下放された。
父はハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話、アレクサンダー・プーシキンの童話、アンナ・カレーニナ、戦争と平和、西遊記、水の余白など多くの文化大革命時期の禁止図書をベッドの下の黒い箪笥に隠していた。
父親が隠し持っていたこれらの児童書に描かれたイラストは劉野の芸術に絶えず影響を与えている。劉野は幼少期から絵を描くことに関心を持ち、才能を発揮していた。10歳のとき、父親は息子を版画家の锁黄龙に紹介し、锁黄龙は劉の最初の正式な美術教師となった。
以来、劉は週に1〜2回、5年間にわたって锁からデッサンの指導を受け、基本的な技術教育を習得した。
13歳の時、左目に弱視が見つかり、医師は空間感覚に影響を与えると判断して、一時的に美術の勉強を中断させた。しかし、劉は芸術家になるという夢をあきらめず、弱視が彼の作品を破壊することはなかった。
美術教育
1980年、劉野は北京の美術工芸学校のインテリアデザイン学科を志望したが、最終的には工業デザイン学科に入学し、そこで西洋の現代美術を学ぶ。バウハウスや、後に彼が強く影響を受けるピエト・モンドリアンの作品に初めて出会った。
1984年、美術工芸学校を卒業した後、北京公明(芸術工芸)グループの研究センターに勤務し、同時に大学入学試験の準備をする。1986年、中央美術学院壁画科に入学し、優秀な成績を収めた。
この頃、中国の大学生の間では心理学や哲学、特にフロイト研究が流行っていた時期で、劉もまたフロイトの『夢の解釈』やフリードリヒ・ニーチェやヘンドリック・ファン・ルーンの著書に刺激を受けた。
中央美術学院在学中、劉野はときどき漫画を描いて新聞に投稿し、収入を得ていた。
1989年、中央美術学院を卒業する前にドイツに渡り、ベルリン芸術大学の入学試験に合格し、1994年に修士号を取得。1998年にアムステルダムのライクスアカデミーのアーティスト・イン・レジデンスに参加し、さらに技術を磨き、2001年にはロンドンのデルフィナ・スタジオ・トラストでインターンシップとして参加した。
美術的評価
劉野は西洋美術への関心とベルリンでの留学経験もあって、1989年の天安門事件後に共産党政権に対抗する武器として芸術を利用してきた中国の現代美術家たちとは一線を画している。
美術史家のPi Liによれば、「劉野と同時代の中国人芸術家との大きな違いは、彼は1989年の天安門事件後の激怒期を経ていないこと、また、作品に中国人がよく使う『集合的』なイメージ要素が含まれていないことである」と述べている。
天安門事件が発生した同時期、劉野はヨーロッパでベルリンの壁が崩壊した姿を目の当たりにし、ヨーロッパの美術館を巡り、パウル・クレーやヨハネス・フェルメールなど西欧近代美術の巨匠たちを研究していた。
劉野の美術は「中国」に焦点を当てるのではなく、美、感情、希望といったより人類に普遍的なテーマを作品に取り入れている。
劉野は次のように話している。「美を求めることは人間にとって最後のチャンスです。それはゴールに向かって撃つようなもので、喜びに満ちた感情を呼び起こす」。1994年に中国に帰国するまでに、彼の作品はドイツ表現主義の影響を強く受けており、全体的に暗いトーンで強烈な個人表現が見える。
彼のヨーロッパ近代美術家の研究、幼少期の童話の影響、美、感情といった普遍的なテーマ、ドイツ留学、ドイツ表現主義、個人主義の影響は奈良美智の世界観と通じるところがある。
また、象徴としてのモンドリアンの作品の利用やモンドリアンの構図は、この頃までに彼の作品の多くに現れている。ほかに、鏡、彼の自画像、ルネ・マグリットのシュルレアリスム作品は、彼の初期作品の他の重要な指標である。この時期、劉はそれぞれの作品に小さな筋書きを描くようになり、それが彼独自のスタイルの1つとなった。
1994年以降、劉野が北京に戻ると、彼のスタイルと主題は環境に合わせて変化していった。それまではセルフポートレイトを青年画として描いたいたが、少年として描くようになりました。また、女性の姿も増え始めた。
絵の舞台は部屋から劇場へと移り、少年時代に見た中国の風景や幼い頃の夢が描かれるようになる。合唱、船団、船乗りの少年たちが繰り返し描かれている。
原色へのこだわりは、北京での幼少期にも通じるものがある。「私は赤の世界で育った」という振り返り、「赤い太陽、赤い旗、赤いスカーフ、緑の松、ひまわりなどが私の赤いシンボルを支えている」と話している。
2000年までには、劉野は徐々に独自のスタイルを確立していった。2000年から、彼は自画像から離れ、張愛玲、阮玲玉、アンデルセン、リトル・マーメイドなど、自分が興味を持っている人物を描くようになった。
代わりに同時期、自分自身を反映するものとして、自分の好きな漫画のキャラクターであるウサギのミッフィーを描き始めた。劉野はアムステルダム滞在時に一見地味だが実は非常に知的なミッフィーに自分の姿を見たという。
2000年代になると、象徴としてのモンドリアン作品のオマージュが、少女や少年と一緒に描かれるようになり、ときにミッフィーも少年や少女たちとともに作品に描かれるようになった。
2004年、2005年頃になると劉野の童話のようなファンタジーは、よりマイルドでリアルな作風に変わっていった。
思春期の少女が繰り返し登場する。読書や旅に出るといった単純な行為を描いた作品もあれば、性的な意味合いを含んだ作品もある。
人間の美の完璧さを追求した作品でフェルメールの影響が強く表れるようになった。
市場
2013年、劉野の絵画《剣》がサザビーズ香港で42.68M香港ドルで落札された。
2019年には、絵画《Smoke》(2001-2002)がサザビーズ香港で52,18M香港ドル(665万ドル)という新記録的な価格で落札された。
《Smoke》は、2001年から2002年にかけて制作されたの壮大なクリムゾン色の横長のキャンバスで、3枚の作品からなる最初の作品である。2枚目の作品はM+ Siggコレクションに、3枚目の作品は2013年にオークションに出品され著名な個人コレクションに収蔵されている。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Liu_Ye_(artist)、2020年11月24日アクセス
・https://www.davidzwirner.com/artists/liu-ye、2019年10月13日アクセス
・https://en.thevalue.com/articles/liu-ye-auction-record-smoke-contemporary-art-sothebysm2020年11月24日アクセス