イリナ・イオネスコ / Irina Ionesco
自身の娘を被写体にした作品で問題になった写真家
概要
生年月日 | 1930年9月3日生まれ |
国籍 | フランス |
表現媒体 | 写真 |
イリナ・イオネスコ(1930年9月3日生まれ)はフランスの写真家。
写真を撮りはじめる以前は旅をしながら絵を描いていたが、最終的にはモノクロ形式のエロティック写真家として知られるようになる。被写体として自身の思春期になる娘のヌードを撮影したことで社会的問題を起こした。
1974年、パリのNikonギャラリーの展覧会で大変な注目を集める。その後、彼女の作品は『The Eye』『Knowledge of the arts』といった多くの公共的な芸術雑誌に掲載されるが、一方で『PHOTO』『Playboy』『Playmen』『Penthouse』のようなポルノ雑誌にも掲載された。
彼女の作品のコレクターや取り扱い画廊は世界中にある。また、彼女は前衛運動の1つ「コブラ」の創始者で画家のギヨーム・コンスタン・ファン・ベフェルローと10年間ほど活動をしていた仲間だった。
略歴
幼少期
イオネスコはルーマニア移民としてパリで生れた。イオネスコは娘エヴァによれば、彼女は父と娘の近親相姦で生まれた子だったという。4歳から15歳まで両親は彼女をルーマニアへ送り、そこでサーカス芸人の家族のもとで育てられた。15歳から22歳までイオネスコは曲芸師としてサーカスで活躍した。
1965年に彼女はのちに自身の作品で大きなテーマとなる唯一の娘、エヴァ・イオネスコを出産。
写真家キャリア
1974年に彼女はパリにあるニコン・ギャラリーで展覧会を開催したのをきっかけに多くの人から注目を集めるようになる。すぐに多数の雑誌や本で紹介され、また世界中のギャラリーで紹介された。
イリナ・イオネスコの最も有名な写真作品は自身の娘エヴァを撮影した作品である。1969年、エヴァが4歳のときから写真を撮影しはじめたが、1974年の展覧会まで作品を一般公開することもなく、また彼女自身の名声も特になかった。エヴァを撮影したヌード写真は、イオネスコの過去のモデルたちと同じ方法で撮影されたためすぐに物議をかもした。
彼女はとりわけのちに絶版となったドイツの週刊誌『Der Spiegel』の表紙で利用したエヴァのヌード写真がお気に入りで、彼女が撮影したエヴァの写真をスペイン語版『Penthouse」への掲載を許可した。
イオネスコはエヴァが12歳になるまで彼女をミューズとして撮影し続けていたが、社会福祉士が介入でイオネスコの娘の監護権を剥奪された。その後数年間、2人の関係は崩れ、エヴァは母親は虐待癖であり、自身が映った写真を管理するために係争することになった。
2014年にはエヴァ・イオネスコはフランス映画『ヴィオレッタ』で監督を務めた。自身の子供時代の苦痛な出来事を映画化したものである。
映画は自伝的内容で主人公が母親にヌードになることを要求され激しく抵抗したり、モデルをしていることが同級生に知られていじめられるといった自身の過去が描かれている
イオネスコは膨大な数の本で作品を紹介されている。2004年には回顧録『L'eil de lapoupée』を出版した。
裁判
2012年11月12日、エヴァは子どもの頃のヌード写真撮影およびその出版について、20万ユーロの損害賠償と写真返却を求める裁判を母親に起こし勝訴する。イオネスコはエヴァに1万ユーロの損害賠償を支払うよう命じられ写真返却を命じられた。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Irina_Ionesco、2019年9月6日アクセス
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ランブル (土曜日, 30 5月 2020 14:00)
病気だったんだね。病んでいたと言う事。娘のエヴァに自身を投影して、自信を取り戻したかったのでは。娘にとってはいい迷惑だったけど。悲しい事件。