ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像 / Ginevra de' Benci
南北アメリカで鑑賞できる唯一の油彩作
概要
作者 | レオナルド・ダ・ヴィンチ |
制作年 | 1474-1478年頃 |
メディア | 油彩、木製パネル |
サイズ | 38.1 cm × 37 cm |
ムーブメント | 盛期ルネサンス |
所蔵者 | ナショナル・ギャラリー・オブ・アート、ワシントンD.C. |
《ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像》は、1474年から1478年ころにレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された油彩作品。38.1 cm × 37 cm。
1967年にアリサ・メロン・ブルース財団の支援を受け、ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリー・オブ・アートが、リヒテンシュタイン公爵から当時の美術品最高価格となる500万ドル(2019年現在の価格に換算すると3,800万ドル)で購入。南北アメリカにおける公共の場で鑑賞可能な唯一のレオナルドの油彩作品である。
本作品は《受胎告知》とならびレオナルドが単独で描いた初期作品の代表作の1つとみなされている。描かれているのはフィレンツェの銀行家アメリゴ・デ・ベンチの娘ジネヴラ・デ・ベンチである。
モデル
レオナルドは1474年から1478年の間フィレンツェに滞在しており、おそらくこの頃に16歳でベルナルド・ニッコリニと結婚したジネーブラの「婚約記念」を描いた肖像画と考えられている。当時、彼女は2倍も年齢の離れた男やもめの政務官、ルイジ・ニコッリーニとの結婚が約束されていた。
経緯は明らかではないが、当初は師匠のヴェロッキオに制作依頼の話が来ていたが、ヴェロッキオは彫刻のほうが得意なこともあり、肖像画の仕事を工房の若い弟子に任せることにし、レオナルドが描くことになったとも言われている。
解釈
当時の女性肖像画は、一般的に「婚約」もしくは「結婚」のどちらかで制作依頼されていた。結婚式の肖像画は通常ペアで描かれ、女性は右に位置し顔は左を向いていた。この肖像画は顔が右向きのため「婚約」を表現したもので結婚式の絵ではない。
近景にジネーヴラの頭を取り囲むように背景の大部分を覆い尽くしているのはネズのである。
ネズの木々は単なる装飾目的に留まらない。ルネサンス・イタリアにおいてネズは「女性の美徳」の象徴とみなされていた。一方でネズはイタリア語でジネブロといいジネヴラとかけた言葉遊びになっている。
ジネーブラの青白い顔しているが、当時、身分の高い女性は屋外に出ることが少なく、日焼けをしない習慣があったためと思われる。髪の毛は真ん中で分けられ、知恵の象徴である額の丸みを強調している。
また、遠景はトスカーナの田園風景である。遠くに見える教会の2本の尖塔は、敬虔な信仰心を物語る。当時16歳のジネーブラはどことなく悲しげだ。
彼女がモナ・リザのように微笑む気配は見られない。視線は前向きではあるが鑑賞者には冷たく悲しげに見える。なぜ悲しげであるかはパネルの裏面に描かれた絵とテキストが手がかりになる。
裏面
パネルの裏にも絵やテキストが描かれており、それらが作品を理解する助けとなっている。画面左に月桂樹、右に椰子が描かれ、それらに囲まれるようにネズの小枝が描かれている。
3つの植物に絡む「Virtvtem Forma Decorat(美は徳を飾る)」という銘は、美と徳を備えたジネーブラへの賛辞だと思われる。
中央のネズはもちろんジネブラを指している。ネズを取り巻く月桂樹と椰子はヴェネツィアの駐フィレンツェ大使だったピエトロ・ベンボのエンブレムで、ジネーブラとはプラトニックな関係にあったという。
赤外線検査でベンボのモットーである「Virtue and Honor(美徳と名誉)」の文字がジネーブラの下にあることが明らかになり、ベンボが肖像画の依頼において何らかの形で関与した可能性が高くなった。
消失したジネブラの両腕
ジネーブラの肖像画は正方形に近い板の画面に描かれている。絵は正方形だがおそらく損傷で絵画の底部が切断され、ジネブラの両腕はなくなっていると思われている。
オーストラリアの画家のスーザン・ドロセア・ホワイトは、黄金比を頼りに彼女のオリジナルの両腕がどのように描かれていたかを想像した作品を描いている。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Ginevra_de%27_Benci、2019年9月2日アクセス