フューチュラ2000 / Futura 2000
抽象ストリートアートの先駆者
概要
生年月日 | 1955年11月17日生まれ |
国籍 | アメリカ |
ムーブメント | ストリート・アート、グラフィティ、抽象芸術 |
公式サイト | |
関連人物 | キース・ヘリング、ジャン・ミシェル・バスキア |
フューチュラ2000(1955年11月17日生まれ)はアメリカのグラフィティ・アーティスト。本名はレオナルド・ヒルトン・マクグレイ。単にフューチュラと呼ばれるときもある。
1970年代初頭にニューヨークの地下鉄で違法に絵を描きはじめ、ALIなど他のアーティストと活動して名声を高めた。
フューチュラの作品の最大の特徴は、グラフィティに対する抽象的なアプローチである。1980年代当時のグラフィティアーティストの多くは、レタリング(文字)を中心に作品を描いていたが、フューチュラは抽象的なグラフィティを描き始めた。それは、抽象ストリートアートの先駆者だった。
また、フューチュラのエアゾール・ストロークは、エアブラシで描いたような細い線が特徴で、同世代のアーティストとは異なる作風として評価されている。
1980年代初頭には、キース・ヘリング、ジャン・ミシェル・バスキア、リチャード・ハンブルトン、ケニー・シャーフらとともにファン・ギャラリーで展示をしている。
1985年には、ボンディ(フランス)で開催されたグラフィティ&アーバンアート運動の第一回会議に、スピーディ・グラフィート、ミス・ティック、SP38、イプシロン・ポイント、ブレク・ル・ラット、ジェフ・アエロール、ヌクレ・アート、キム・プリス、バンリュー・バンリューらと参加している。
活動履歴
彼はグラフィティ・アーティストとして知られているが、実際のところ仕事の多くは、イラストレーションやアルバム・カバーのグラフィック・デザイナーとして制作した作品である。
商業作品の代表はザ・クラッシュの『This Is Radio Clash』7インチシングルのスリーブや、彼らのアルバム『コンバット・ロック』(1982年)のスリーブノートと歌詞シートだろう。また、ザ・クラッシュの1981年ヨーロッパ・ツアーのステージの背景画を制作している。
フューチュラの評価をさらに高めたきっかけの1つは、ジェームス・ラヴェルはベン・ドラリーとともにMo' Waxレコードからリリースしたいくつかの作品のアートワークで、フューチュラを起用したことで。このことは、フューチュラがラヴェルのUnkleプロジェクトのイメージをの制作へつなげた。
1990年代には、GFS、サブウェア、プロジェクトドラゴンなどのアパレル会社とコラボレーションを行っている。
最近では蒐集玩具や、スニーカー、そしてRecon、Nike、The North Face、Medicom Toy、Undercover、Supreme、Levi's、A Bathing Apeなどのさまざまなクリエイティブ・メディアとのコラボレーションへと発展している。福岡に店舗を構える「Futura Laboratories」というブランドで、自身の服のデザインも手がけている。
2005年のスニーカー。ドキュメンタリー「Just For Kicks」でフューチュラは特集されている。
展覧会
これまでフューチュラの個展を開催したギャラリーは、Fun Gallery、Tony Shafrazi Gallery、Philippe Briet Gallery、Galerie du Jour Agnès B.、Galerie Jérôme de Noirmontなどがある。
美術館での展覧会には、『ニューヨーク/ニューウェーブ』(PS1)(1981年)、『地下鉄から来て』(グローニンガー美術館)(1992年)、『ビューティフル・ローサーズ』(2004年)、『アート・イン・ザ・ストリート』(ロサンゼルス現代美術館)(2011年)などがある。
2012年にニューヨークで開催された展覧会「フューチュラ・ショック」は、ネモ・ライブラッツィのキュレーションをしている。
重要ポイント
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■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Futura_(graffiti_artist)、2020年11月7日アクセス
・https://g.co/arts/4FXUp9iUXfaXrcYZ9、2020年11月7日アクセス