フェルナン・レジェ / Fernand Léger
抽象絵画からポップアートへ
概要
生年月日 | 1881年2月4日 |
死没月日 | 1955年8月17日 |
国籍 | フランス |
表現媒体 | 絵画、版画、彫刻、映像 |
表現スタイル | キュビスム |
ジョセフ・フェルナン・アンリ・レジェ(1881年2月4日-1955年8月17日)はフランスの画家、彫刻家、映像作家。初期作品はキュビスムから派生した個人的な形態の強い作風で、円筒形や円錐形をよく使用していた。
画家としてはピカソ、ブラックより、ドローネーやル・フォーコニエといった第二世代のキュビストに近く、1911年には彼らとともにセクション・ドール(黄金分割)に参加し、展覧会に参加する。
第一次世界大戦に従軍した際に、大戦中に見た大砲などの兵器の機能的美に影響され、以後のレジェの作品には、人物とともに機械をモチーフとした作品が目立つようになる。
戦後は、徐々にポピュラーな作風に切り替えていき、レジェの現代的な主題を大胆で単純化した絵画は、ポップ・アートの先駆者としてみなられるようになった。
経歴
若齢期
レジェは、オルヌ県アルジャンタン(ノルマンディー地方下流部)で、牛飼いをしている家庭で生まれた。1897年から1899年まで建築家になるため学び、1900年にパリに移り、建築の製図家として生計を立てる。
1902年から1903年にかけてイヴリーヌ地方のヴェルサイユで兵役についた後、パリ国立美術学校(エコール・ド・ボザール)へ入学しようとするが失敗して、装飾美術学校に入学する。ボザールに入学しなかったが、ジェロームらのもとで学び、またアカデミー・ジュリアンでも学びながら、「空虚で無駄な3年間」を過ごす。
画家として本格的に活動を始めたのは25歳になってからである。この時期の作品は、1905年の《母の庭》に見られるように印象派の影響が見られ、後に破棄されなかった数少ない作品の一つである。
1907年のサロン・ドートンヌでセザンヌの回顧展を見たレジェは、デッサンと幾何学に新たな重点を置いた作品を制作するようになる。