F・ホランド・デイ / F. Holland Day
少年愛やナルシズム聖像の初期写真家
概要
生年月日 | 1864年7月23日 |
死没月日 | 1933年11月12日 |
国籍 | アメリカ |
表現媒体 | 写真 |
ムーブメント | ピクトリアリズム |
フレド・ホランド・デイ(1864年7月23日-1933年11月12日)はアメリカの写真家、編集者。アメリカで最初に写真をファインアートとしてみなすべきと提唱した人物。
20世紀初頭のアメリカ写真業界で、アルフレッド・スティーグリッツとともに人気の高い芸術写真家といえばデイだった。
キリストの磔刑のイメージ死を直前にしたキリストの顔のクローズアップした宗教性の濃厚なセルフポートシリーズやホモセクシャルを連想させるヌードの少年たちのイメージが特徴。
1896年のロンドンのサロン展へのデビュー以降、デイは実力を世界中に認められたが、スティーグリッツとのアメリカ写真界のヘゲモニーをめぐる対立、および彼のスタジオが1904年に焼失して、ネガ、プリントの全てを失った事件も重なり、デイの存在は急速に写真界から薄れ、写真史からも忘れられたという。
コレクターでもあったデイは、世界中を旅して特に詩人に関連するものを収集。また、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動に参加し、彼らの活動を手助けもした。
略歴
デイはボストンの商人の息子として生まれた。デイの写真の主題はよく若い男性のヌードだったので、デイの生活や作品は長いあいだ議論の余地があった。
デイは生涯独身で、彼の性的嗜好は、彼の関心事や写真の主題、彼の華やかな交友関係から、広く同性愛者だと考えられているが、詳細は分かっていない。
デイはボストンで貧しい移民の子どもたちと多くを過ごした。デイは移民の子供に読み書きを教えたりしており、教え子の中には、後に、著書『預言者』で名声を上げら13歳のレバノンの移民ハリール・ジブラーンがいたという。デイと少年たちの関係は、このような背景があるともいわれる。
デイは出版会社コープランド&デイを共同設立して、1893年から1899年のあいだに約100冊の本を出版している。その会社はアーツ&クラフト運動やウィリアム・モリスが設立した出版社ケルムスコットプレスから影響を受けたもので、コープランド&デイでは、オーブリー・ビアズリーが挿絵を担当したオスカー・ワイルドの『サロメ』や『イエローブック』など男色カラーの強い出版物を多数出版していた。
デイは世界中を旅行するのが趣味だった。ボーモント・ニューホールによれば、デイはアルジェリアを旅行していたが、たぶん『ワイドとガイド』を読んだ影響だと話している。フレデリック・H・エヴァンスによって1901年に撮影されたアラブ衣装を着たデイの肖像写真なども存在する。
デイはルイーズ・イモジーン・ギニーやラルフ・アダムズ・クラムと友人で、ボストンの「ビジョニスト」という社交クラブの会員だった。この社交クラブは芸術や文学に関心のある人たちの集まりだった。また、デイはオーブリー・ビアズリーの大パトロンとしても知られている。
デイは生涯、愛書家で蒐集家だった。彼のコレクションの代表的なのは、詩人ジョン・キーツに関する膨大な資料である