アイリーン・エイガー / Eileen Agar
イギリスを代表する女性シュルレアリスト
概要
生年月日 | 1899年12月1日 |
死没月日 | 1991年11月7日 |
国籍 | イギリス |
表現形式 | 絵画、コラージュ、写真、アッサンブラージュ |
ムーブメント | シュルレアリスム、ロンドン・シュルレアリスム |
配偶者 | ジョセフ・バード |
関連サイト | ・WikiArt(作品) |
ロンドン・シュルレアリスムで活躍
アイリーン・エイガー(1899年12月1日-1991年11月17日)はイギリスの画家、写真家、コラージュ作家、オブジェ作家。ロンドン・シュルレアリスム・グループの代表的なメンバー。
エイガーは、ブエノスアイレスで、スコットランド人の父とアメリカ人の母とのあいだに生まれた。1911年にエイガーの一家はロンドンに移る。
エイガーはヒースフィード大学卒業後、1919年にバイアム・ショー美術学校に入学し、本格的に絵を描き始める。1924年にブルック・グリーンにいる美術家のレオン・アンダーウッドのもとで学び、1925年から1926年まで、ロンドンのスレード美術学校に通った。また1928年から1930年までパリで美術を学ぶ。
1926年にエイガーは、作家のジョセフ・バードと出会い、1940年に二人は結婚する。1928年、二人がパリで同棲しているとき、エイガーはアンドレ・ブルトンやポール・エリュアールらと出会い、パリのシュルレアリストたちと交流を持つようになる。1934年にはロンドン・シュルレアリム・グループのメンバーとなった。
その後、エイガーはイギリス国内外でシュルレアリスム作品の展示を行うようになる。
1930年代にエイガーの作品は、特に超現実オブジェで注目を集めるようになる。またシュルレアリスティックな写真「ファウンド・オブジェ」も評価が高まる。たとえば、ブルターニュで発見した奇妙な形の岩を撮影した写真「バム・サム・ロック」などが代表的なファウンド・オブジェ作品である。
ほかにオートマティスム絵画やコラージュ作品なども制作して注目を集める。石膏像にさまざまなデコレーションを行った超現実オブジェ「アナーキーな天使」が代表作で、現在この作品はテート・モダンに収蔵されている。
1930年代なかば、エイガーとバードは、ドーセット州のスワネッジで夏を過ごすための家を借りる。そこで彼女は、ポール・ナッシュと出会い2人で親密な関係を築き始め、2人で数多くのコラボレーション作品を作り始める。
コラボ作品の多くはファウンド・オブジェである。また、ナッシュはローランド・ペンローズやハーバード・リードにエイガーの作品を紹介する。
1936年に開催された「ロンドン国際シュルレアリスム展」にはエイガーも参加。彼女はイギリス出身の唯一の女性シュルレアリストとして作品が紹介された。
1937年に、エイガーはピカソとドラ・マールの家で休暇を過ごすようになる。そこには、ポール・エリュアール、ナッシュ・エリュアール、ローランド・ペンローズ、リー・ミラーなども滞在していた。1940年までにエイガーの作品はアムステルダム、ニューヨーク、パリ、東京など、世界中のシュルレアリスムの展覧会で紹介された。
第二次大戦後、エイガーは芸術制作において新しいフェーズに入る。1946年から1985年の間に16もの個展を行い、また1960年代までに彼女はシュルレアリスム要素をともなう新しい抽象絵画「タシスム」を多数制作し始めた。
1991年にロンドンで死去。
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