死と乙女/ Death and the Maiden
「死」と「エロティシズム」を一体化
概要
作者 | エゴン・シーレ |
制作年 | 1915年 |
サイズ | 150 cm × 180 cm |
メディウム | キャンバスに油彩 |
所蔵者 | ベルヴェデーレ・ギャラリー |
《死と乙女》は、1915年にエゴン・シーレによって制作された油彩作品。ウィーンのベルヴェデーレ・ギャラリーが所蔵している。シーレは当初「男と女」または「絡み合う人々」と名付けていた。
シーレにとって生涯のテーマであった「死」と「エロティシズム」を結びつけ、一体化させた非常に個人的な作品で、死と乙女の対比というルネサンス期のモチーフが使われている。
構図自体を見ると、絶望に打ちひしがれたカップルがしわくちゃの白いシーツの上に横たわり抱擁をしている。背景は正体不明の空間で土に埋葬されているようにも見える。
男性はシーレの自画像と似ていないため、タイトルがなければ、「男性が死を表している」と推測できないかもしれない。男性は修道士の法衣をまとい、死んだような冷たい表情をしている。
一方の赤毛の女性は少しも死を恐れているように見えない。彼女はまるで男、死が愛そのものあるかのように抱きしめている。
男性の指が女性の頭部をしっかり抱きしめているのに対し、女性の方は背中を抱きしめているように見えるが、手の指は背中から離れている。
この絵の背後をよりよく理解するためには、この年にシーレの人生で起こったことを理解する必要がある。
1915年6月、シーレは隣の家の内気で無邪気な中産階級の女の子、エディス・ハルムスと結婚する。
しかし、シーレはまず以前の恋人のウォーリーを関係を断つ必要があったが、彼女はノイレングバハ事件でシーレを支えただけでなく、皮肉にもエディスを紹介した共犯者でもあった。
シーレはウォーリーと離れず愛人関係を続けるつもりでエディットと結婚の理由の説明をするものの、ショックを受けたウォーリーは、そんな結婚を受け入れるわけなく、シーレのもとをすぐに去る。以後二度と会うことはなかったという。
描かれている女性は、ウォーリーのようにもエディトのようにも見える。服装としてはカラフルなエディスだろうが、二人とも赤毛で顔がよく似ているので区別がつきにくい。
また、《死と乙女》は、シーレがエディス・ハルムスと結婚した後、第一次世界大戦で徴兵される前夜に制作されたものである。
■参考文献
・https://en.wikipedia.org/wiki/Portrait_of_Wally、2023年1月9日アクセス