【美術解説】ダニエル=ヘンリー・カーンワイラー

ダニエル=ヘンリー・カーンワイラー / Daniel Henry Kahnweiler

現代ギャラリストの先駆け


パブロ・ピカソ「カーンワイラーの肖像」(1910年)
パブロ・ピカソ「カーンワイラーの肖像」(1910年)

概要


生年月日 1884年6月25日
死没月日  1979年1月11日
職業 画商、美術史家
関連人物 パブロ・ピカソジョルジュ・ブラックアンドレ・ドラン
取扱ジャンル 20世紀初頭のフランス前衛芸術全般、キュビスム、フォーヴィスム

ダニエル・ヘンリー・カーンワイラー(1884年6月25日-1979年1月11日)はドイツの美術史家、画商。20世紀初頭のフランス美術を扱う重要な画商の1人。

 

1907年にパリで画廊を開き、特にパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックらのキュビスムを中心とした前衛芸術の作家をサポートした。

 

カーンワイラーの家族は、ドイツのプファルツ地方にある小さな村ロッケンハウゼンからドイツ南西部のバーデン領邦へ移り、そこでカーンワイラーは1884年に生まれた。ドイツ中等学校の教育は、カーンワイラーを実践的なビジネスマンとして、また芸術哲学のエキスパートを養成した。

 

また家族や親戚たちは、ドイツやパリで株式取引の仕事をしていたためカーンワイラーは、幼少期から株取引をはじめビジネスの知識が豊富だった。カーンワイラーの叔父は有名なロンドンの証券仲人会社を経営しており、伝統的なイギリス美術や家具のコレクターだった。

 

カーンワイラーはキュビスムのスポークスマンとして、また画商として最も重要な人物とみなされている。彼はピカソの『アヴィニョンの娘たち』の美術的価値を最初に見出した人物で、アトリエで作品を初めてみるとすぐにピカソに購入を希望した。

 

ピカソは「カーンワイラーにもし、ビジネスセンスがなかったら私はどうなっただろうか?」と話している。ピカソの最も有名な作品が制作されていた時期、ピカソはまったく知られていない貧困の芸術家だった。

 

カーンワイラーは、ファンやコレクターがまだいない時代の芸術家の多くを、自分のギャラリーでサポートした。ピカソのほかには、アンドレ・ドラン、フェルナンド・レジェ、ジョルジュ・ブラック、ジャン・ウリス、モーリス・ド・ブラマンク、キース・ヴァン・ドンゲンらピカソと同時代の芸術家たちをサポートしていた。

 

ビジネスマンとしてカーンワイラーは天才だった。芸術家たちとさまざまな共同ビジネス作業を発明した。

 

  • 芸術家と契約を結んで作品を一括購入し、生活と制作の両立に関する不安を取り除き、作品制作に集中できるようにした。
  • カーンワイラーが信じていた同世代の芸術家をサポートした。
  • 毎日、芸術家の制作状況をチェックして、ディスカッションをした。
  • すべての作品を写真撮影して記録に残しはじめた。
  • 作品の展覧会を開き、海外に作品を積極的に宣伝を行った。

カーンワイラーは、今日の現代美術の画商「ギャラリスト」の活動の先駆けといえる。この時代の画商は一般に「ディーラー」と呼ばれるものしかいなかった。