ダリとセレブ業界との交流
エルザ・スキャパレツリとのコラボレーション
ダリはファッション業界とも頻繁にコラボレーション活動をしていた。
特にイタリアのファッションデザイナーのエルザ・スキャパレッリとのコラボレーションが有名。ロブスターが印刷された白いドレス、靴型の帽子、バックルが唇になったピンクのベルトなどの衣装を制作した。
ほかにテキスタイルや香水瓶のデザインもしており、ダリの香水は現在も販売されている。1950年にダリはクリスチャン・ディオールと「2045年の衣装」という作品をコラボレーションで制作した。
写真家たちとのコラボレーション
写真家とはマン・レイ、ブラッシャイ、セシル・ビートン、フィリップ・ハルスマンらとコラボレーション活動を展開。
マン・レイやブラッシャイらとはおもにポートレイトを撮影。『タイム』誌の表紙に使われたダリのポートレイト写真はマン・レイが撮影したものである。
ほかの写真家とは曖昧なジャンルでコラボレーションを行った。有名な作品はフィリップ・ハルスマン撮影の「ダリ・アトミックス」で、これは28本のフィルムを使い、8時間かけて撮られたもので、写真のなかにもある絵画作品「レダ・アトミカ」と同様に物質の浮遊性と、絵を描いているまさにその瞬間にこの出来事が起こったかのごとく見せようとしたものである。
アマンダ・リアのプロデュース
ダリ自身の芸術活動とまったく関係のない活動の1つは、彼自身によれば、アマンダ・リアのプロデュースが挙げられる。
1965年にダリはフランスのナイトクラブで、ファッションモデルのアマンダ・リアと出会う。リアとダリは18年間つきあう。ガラも公認するダリの第二のミューズで、ダリ作品のモデルにもなっている。
ダリはリアをさまざまな業界に引き連れまわし、彼女を紹介した。アメリカでの音楽業界での彼女の成功はダリが計画したものだった。最初はデビッド・ボウイと組んでデビューする予定だったが、結局、アマンダはソロで活動を始める。アンディ・ウォーホルが『インタビュー』にアマンダの記事を載せると、リアはあっというまにディスコ・アート・シーンで人気者になった。
リアによれば、ダリとリアとは寂れた山頂で「精神的に結婚」したカップルだったという。リアは“ダリのフランケンシュタイン”と呼ばれたり、「アマンダ・リア」とフランス語の「"L'Amant Dalí"」とかけあわせて「ダリの愛人」というあだ名が付けられていた。