【美術解説】シンディ・シャーマン「コンセプチュアル・セルフ・ポートレイト」

シンディ・シャーマン / Cindy Sherman

コンセプチュアル・セルフポートレイト


シンディ・シャーマン「Untitled Film Still #17」(1978年)
シンディ・シャーマン「Untitled Film Still #17」(1978年)

概要


生年月日 1954年1月19日
国籍  アメリカ
表現媒体 写真
表現スタイル コンセプチュアル・アート
ムーブメント ピクチャー・ジェネレーション
公式サイト Instagram

シンシア“シンディ”・モリス・シャーマン(1954年1月19日)はアメリカの写真家、映画監督。ニューヨーク在住。写真をはじめさまざまな表現方法を通じて、社会における女性の役割や重要な問題を提起している。

 

急速かつ広範囲にマスメディア・イメージが広がった1980年代初頭に台頭したゆるやかな芸術集団「ピクチャー・ジェネレーション」の代表的な人物とみなされている。

 

シャーマンの初期は、アメリカン・フェミニズムに影響を受けたスーパー・リアリズムな作風だったが、1970年代後半に写真家に転向する。自らを被写体とするコンセプチャル・セルフポートレイトが代表的な作品で、50年代の大衆映画のワンシーンに出演する女優たちのお決まりポーズに扮して撮影する写真シリーズ「アンタイトルズ・フィルム・スティル」が、一般的にはよく知られている。

 

シャーマンは、「俳優は舞台や映画で自分自身ではなく、架空の役を演じています。わたしは同じことをしているのです」と語っている。シャーマンはよくフェミニズムのアーティストとみなされるが、シャーマン自身はフェミニズムの思想を特に美術を通して訴えているわけではないという。

 

1995年にはマッカーサー・フェローシップを受賞。マーケットでは、世界で最も高価な写真として取引されており、2011年には「Untitled #96」が3億1124万で落札された。

略歴


コンセプチュアル・アートに進む


シンディ・シャーマンは、アメリカ、ニュージャージー州グレンリッジで生まれた。5人兄妹の末っ子だった。シャーマンが生まれたあとすぐに、家族はニューヨークのロングアイランド、ハンチントンへ移る。父はグラマン社のエンジニアで母は学習困難な子どもたちに読んで教えていた。

 

1972年の秋、母親のすすめでニューヨーク州立大学バッファロー校に入学する。入学してから視覚芸術に関心を持ちはじめ、絵を描き始めるようになる。初期はスーパー・リアリズム的な絵画作品だった。しかし絵画では自分の表現に限界を感じたため、写真表現へ移行する。

 

きめ細かく他人の芸術を忠実に再現しようとしていましたが、後に再現作業はカメラを使ったほうがよく、自分はアイデアの方に時間を使った方がよいと気づきました」と、写真へ移行した理由についてシャーマンは話している。

 

シャーマンといえばセルフ・ポートレイト作品で知られているが、セルフポートレイトに関心を持ち始めたきっかけについて「たぶん学校の先生の1人が、春に授業外の時間に生徒たちをバッファロー近くの滝のある場所に連れ出して、そこでみんなで服を抜いで遊び半分でお互いの写真を撮ったことかもしれない」と話している。

 

大学一年生のときに写真クラスの単位取得に失敗して留年するが、翌年に同じクラスでバーバラ・ジョー・レヴェルと出会いきっかけに、コンセプチュアル・アートやほかの現代美術様式に関心を持ち始めるようになる。

 

その後、ハンナ・ウィルケ、エレノア・アンティン、エイドリアン・パイパーといった写真を基盤にしたコンセプチュアルな芸術家や作品と次々と出会ったこともあり、自身の芸術の方向性をコンセプチュアル・フォトグラフィーに設定するようになった。

 

ロバート・ロンゴに出会い、1974年にロバート・ロンゴ、チャールズ・クラフ、ナンシー・ダイヤーらとともにシャーマンは、多様な背景を持つ芸術家を収容する空間を意図として、非営利組織「ホールウォール」を設立する。この空間はロンゴの棲家でもあり、6万平方フィートもあった。もとは冷蔵倉庫だったという。ホールウォールは、1970年中ごろのアメリカでもっとも活気に満ちたアーティストのたまり場に発展した。

初期作品


Cindy Sherman, Bus Riders, 1976
Cindy Sherman, Bus Riders, 1976

「バス・ライダーズ」(1976/2000)は、バッファロー州立大学卒業後、すぐに制作した15のモノクロ写真シリーズで、バスの乗客を観察して制作したセルフ・ポートレイト作品である。シャーマンは1972年から76年まで大学に在籍していた。

 

15作品あり、シャーマンはそれぞれの写真で異なる洋服、ウィッグ、メガネを身に着けて、足を組んで座ったりさまざなポージングをしている。タバコ、化粧鏡、ブリーフケース、膨らんだ紙袋、本などさまざまな小道具が使われており、これら小道具の効果により、鑑賞者は自由に乗客者の物語を想像する。1976年当時、実際のバス車内の広告設置部分に展示したという。

 

「バス・ライダーズ」は、学生時代にシャーマンが制作した写真であり、また1977年から1980年にかけて制作したシャーマンの最初のメジャー作品「アンタイトルド・フィルム・スティルズ」の橋渡しとなる作品である。これら初期作品から、シャーマンのセルフポートレイトやドラマ仕立てへの関心がよく表れている。

 

「バス・ライダーズ」は、2000年のニューヨーク、イースト・ハンプトンにある古書店Glenn Horowitz Booksellerで再版して展示するまで、一般には公開されていなかったプライベート作品である。また同時代に制作し、「バス・ライダーズ」と同じく2000年にGlenn Horowitz Booksellerで展示されたほかの作品として「マーダー・ミステリー・ピープル」(1976/2000)がある。これは両シリーズともに20枚限定で再版された。

代表作となった「アンタイトルズ・フィルム・スティール」


彼女の代表的な写真シリーズとなったのは「アンタイトルズ・フィルム・スティール」(1977−80)である。1977年の秋から、シャーマンは3年以上にわたって「アンタイトルズ・フィルム・スティール」の制作をはじめる。このシリーズは全体で69枚のモノクロ写真の構成になっている。

 

映画のセットを利用して制作した広告写真や映画の1シーンを彷彿させる内容で、シャーマンは古着やウィッグを身に着け、さまざまな女性に扮している。シャーマンによれば1950年代から1960年代のハリウッド映画、ノワール映画、B級映画、イタリアの前衛映画などに登場するステレオタイプな女性役から着想を得ているという。

 

曖昧性を出すため作品にタイトルは付けられていない。室内の写真の多くはシャーマンが住んでいたアパートか恋人の家で撮影されており、利用している小道具の多くもシャーマン自身の所有物で、一部友人に借りている。

 

なお、「アンタイトルズ・フィルム・スティール」の写真はいくつかのグループに分類することができる。

 

  • 最初の6枚はざらつきがあり少しピントが外れたものになったもので、同一のボブのブロンド髪の女優姿で撮影されています(e.g. Untitled #4)。
  • 1978年に撮影した写真は、当時の恋人であったロバート・ロンゴの家で撮影しています。
  • 1978年後半は都市周辺で撮影しています(e.g. Untitled #21)。
  • 1979年にはシャーマンは自身のアパートに戻り、ソフィア・ローレンに扮したシリーズを制作しています(e.g. Untitled #35)。
  • 同年、両親とアリゾナ州を旅行して道路上などで撮影されたシリーズがあります(e.g. Untitled #48)。
  • 最後にニューヨーク周辺で撮影されたシリーズで、クライム映画で犠牲者になるブロンド女性に扮したものです(e.g. Untitled #54)。

 

1995年12月にMoMAは「アンタイトルズ・フィルム・スティール」の69枚のモノクロ写真を約100万ドルで購入した。

e.g. Untitled #4
e.g. Untitled #4
e.g. Untitled #21
e.g. Untitled #21
e.g. Untitled #35
e.g. Untitled #35
e.g. Untitled #48
e.g. Untitled #48
e.g. Untitled #54
e.g. Untitled #54

1980年代


1980年にニューヨークの画廊メトロ・ピクチャーズで個展を開催。82年ドイツ、カッセルの国際美術展ドクメンタおよびベネチア・ビエンナーレに出品し、この頃から国際的に注目をあつめるようになる。

 

1980年代からこれまでのモノクロ写真からカラー写真に転向する。1980年に手がけた「リアル・スクリーン・プロジェキション」がシャーマンの最初のカラー作品シリーズで、出世作である「アンタイトルズ・フィルム・スティール」を発展させた内容である。

 

一見すると、どこかロケ地で撮影しているように見える、実際はスタジオ撮影である。スライド写真をスクリーンに投影し、その前に扮装したシャーマンが立つセルフ・ポートレートとなっている。

 

本作では1970年代から1980年代初頭を彷彿させるファッションやウィッグを着用している。ぼやけたスクリーンの背景と対照的に、前景では明るくシャープな色合いのセーターを着たシャーマンが立っているのが特徴である。

 Untitled, 1980
Untitled, 1980

80年代からかなり大きめのサイズで写真を印刷して展示を始めるようになり、特に被写体の顔の表情や照明に強いこだわりを出すようになる。

 

ポルノ雑誌やファッション雑誌からインスピレーションを受けて制作した1981年のパノラマ作品「センター・フォールド」などが代表的な作品といえる。

 

このシリーズでシャーマンはベッドや床の上で横たわったり、仰向けになったセルフポートレイト作品を撮影しているが、これまでよりも近接で撮影され、また写真サイズが大きなこともあり、彼女の肉感がよく伝わってくる。

 

グラビア雑誌に掲載される際の見開きの形式を想定して制作しており、作者の身体を上から俯瞰する男性的、抑圧的な視線が際だっている。

Untitled 96, "Centerfolds" series, 1981
Untitled 96, "Centerfolds" series, 1981
Untitled 94, "Centerfolds" series, 1981
Untitled 94, "Centerfolds" series, 1981

1982年にシャーマンは「ピンク・ローブ」シリーズの撮影を始める。タイトルが示すとおり、ピンク色のバスローブを身に着けているのが特徴で、等身大よりやや大きめのサイズの写真で印刷されており、背景がなくなりシャーマン自身が完全にフレームをカバーするようになった。

 

シャーマンは「雑誌のセクシーモデル写真から着想を得て、全体的にそのように見えるように撮影しました。クロッピングはしておらず照明と角度を変えて撮影しています。」と説明している。

 

この作品について美術批評家たちは、これまでのような演劇性や物語性を排して、現在のシンディ・シャーマンの等身大そのものを表現した撮影と解釈している。「私の写真は物語についてのものではなく、役柄=キャラクターについてのものだ」とシャーマンは説明している。こうした特徴は近年の作品になればなるほど一層顕著になっていった。

 

しかし、既存のメディアに登場する女性像をコスチューム・プレーによって反復、提示し、あえて男性側の視線で性的衝動を喚起する戦略には、フェミニズム批評家の一部から批判も起こった。

 'Untitled #98', 1982
'Untitled #98', 1982
 'Untitled #99', 1982
'Untitled #99', 1982

セックス・ピクチャーズ


シャーマンは1992年に義肢やマネキンを利用した作品『セックス・ピクチャーズ』シリーズの制作を始める。このシリーズでシャーマンは、女性であるがゆえに求められるセクシュアリティを、マネキン人形や人体模型を使い、またユーモラスに表現した。作品の一部として自分の体の一部も作品に取り入れている。

 

アメリカの美術批評家ハル・フォスターは、『セックス・ピクチャーズ』シリーズについて「猥褻、暴力、トラウマ」という記事で「被写体が蝕まれ、スクリーン上で涙を流す衝動がシャーマンを突き動かしている。そしてそれを凝視することによって衝動は消え去る。」と批評している。

 

また、カリフォルニア大学で美術史の教鞭を取る写真批評家アビゲイル・ソロモン・ゴドーは、シャーマン作品について「シャーマンの写真は多くの鑑賞者にフェミニズムの問題を提起している」と批評している。また私達人間の共通意識を呼び起こすと批評している。

 

批評家のジェリー・ソルツは『ニューヨーク・タイムズ』にて、「解体され再結合されたマネキン、陰毛の飾り付け、膣内に置かれたタンポン、女性器から出ているソーセージなどで構成されたマネキンは、アンチポルノのためのポルノであり、まったく刺激性のないポルノ作品であり、これまでにない倒錯したビジョンである。今日、私はシンディ・シャーマンはもっとも素晴らしいアーティストだと思っている」と批評している。

2000年代


2003年から2004年にかけて、シャーマンは『ピエロ』シリーズを制作する。このシリーズではデジタル写真使って、数多くのキャラクターのモンタージュや色とりどりの輝きを放つ背景を取り入れている。また2008年のシャーマンの『ソシャリティ・ポートレイト』シリーズはセレブ女性を基盤にしているが、顔はどこかピエロのようで背景は落ち着いたかんじのものになっている。若さや高貴性に取り憑かれた富裕層文化に根ざした「美の基準」に反発しているような作品である。

Untitled #420 2004 Chromogenic color print (2-teilig)
Untitled #420 2004 Chromogenic color print (2-teilig)
Untitled #458 2007-2008 Chromogenic color print
Untitled #458 2007-2008 Chromogenic color print

パーソナル


シャーマンは1984年に映画監督のミシェル・オーダーと結婚し、オーダーの娘のアレクサンドラと彼女の異母妹のギャビー・ホフマンの義母となった。二人は1999年に離婚。なお、2007年から2011年までシャーマンは芸術家のデヴィッド・バーンと付き合っていた。

 

1991年から2005年までシャーマンはマンハッタンのソーホー地区のマーサ・ストリート84番地にあるコープ・ロフト5階に住んでいた。のちに彼女はハンク・アザリアに部屋を売却し、ウエスト・ソーホーのハドソン川が見渡せる10階建ての高層マンション内の2つの部屋を購入し、現在、彼女はアパート兼アトリエ兼オフィスとして利用している。

 

シャーマンは昔からずっと夏はキャッツキル山地で過ごしている。

 

2000年に彼女はシンガーソングライターのマーヴィン・ハムリッシュが所有していたニューヨークにある4200平方の家を150万ドルで購入した。

 

シャーマンはニューヨークを拠点にするステファン・ペトロニオ・カンパニーの芸術顧問委員である。また、デヴィッド・バーンと並んで彼女は2009年にポルトガルのエストリル映画祭審査委員のメンバーだったことがある。

 

2012年には地下鉱床から天然ガスを発掘するための水圧破砕に反対する集団「水圧破砕法に反対する芸術家たち」の創設に、オノ・ヨーコらをはじめ150人近くの芸術家たちらとともに参加した。

 

2016年10月からシャーマンは、Instagramに写真の投稿を始めている。当初は非公開アカアウントだったが、5月ごろからセルフ・ポートレイト作品を中心に公開した状態で投稿している。ただし、一般的なセルフ・ポートレイトと異なり、グロテスクに自身の姿を加工した写真が多く、シャーマン独特の倒錯したビジョンを表している。


<参考文献>

・ユリイカ「アメリカン・カルチュア・マップ」1987年6月臨時増刊

コトバンク「シンディ・シャーマン」

Wikipedia