ダーウィンの風刺画
進化論を嘲笑したイラスト
ダーウィンの風刺画についてご紹介いたします。ダーウィンの風刺画は、社会的な問題を批判するものとして歴史的に重要な作品です。この記事では、当時の風刺画の種類と、解説、受け取られ方、作者などを詳しくご紹介します。また、ダーウィンの風刺画が持つ独自の意味を、歴史的な背景を踏まえて掘り下げていきます。ぜひ、この記事をご覧いただき、当時の風刺画の深い意味を体感してください。
概要
チャールズ・ダーウィンに関する似顔絵やイラストのほとんどは彼に批判的な風刺画である。
なぜなら、ダーウィンの画期的な進化論は、進化論が発表される以前から現在でも、疑似科学と疑われているからである。進化、特に自然淘汰による進化は、ヒトラーに影響を与えたこともあり、軽蔑的な用語として扱われる。
人間と動物の比較した絵はかなり古くからあるが、一般的には擬人化した動物の絵だった。人類が自分たちが動物界の一部と認識したのは、科学の成果が出てからのことである。
ただし、一部の宗教では、人類は依然として動物の上に立つ上位層としての役割を果たし、動物界の一部とはみなされていない。
ダーウィンとその進化論を描いた風刺画は、ヴィクトリア朝時代、科学が芸術や大衆といかに密接に関わっていたかを示している。それらは、19世紀のイギリスにおけるダーウィン、彼の「サル説」、猿の一般認識を示すものである。
ダーウィン教授
この風刺画は、ダーウィンの著作『人間下降論』(1871年)の3年後に発表された。この本でダーウィンは、ヒトとサルは共通の祖先を持つという立場に立つ。
ダーウィンは、人間の頭を持つ猿として描かれている。彼は、隣に座っているもう一匹の猿に鏡を向けている。まるで、自分自身と自分の存在について考えるように、猿を誘っているかのようだ。
このことを強調しているのが、添えられた2つのシェイクスピアの引用である。これは、シェイクスピアの「This is the ape of form」(『失恋物語』第5幕第2場)と「Some four or five descents since」(『終わり良ければすべて良し』第3幕第7場)の2つの引用によるものである。
ダーウィンの表情は、サルに自分たちの共通の祖先を認識するよう促しているように見える。一方、猿は鏡を見て、ダーウィンの提案を文字通り理解し、自分たちの血縁関係の信憑性を確認するために、鏡に映った姿に触れようとする。
しかし、この風刺画では、ダーウィンの見解に疑問符をつけている。しかも、人間がある種の動物の特徴を備えているという、いわば猿を人類の鏡とする広範な前提に立ち戻るのである。
ダーウィンが鏡を持って見ているのは猿の姿であり、本物の猿ではないことは、ダーウィンと彼の理論が嘲笑されるべきものであることを示している。
この点で、この風刺画は、人間の虚栄心を映し出す手鏡に象徴されるヴァニタスの伝統にも立脚している。
人間は虫けら
タイトルは、1881年10月に発行されたダーウィンの出版物『虫の働きによる植物性黴の形成、虫の習性に関する観察』にちなんだものである。作者はリンレイ・サンボーン。
この風刺画では、進化は変身と関連付けられ、必然的に進歩する漸進的なプロセスとして描かれている。
競争、遺伝的伝播、偶然性、淘汰が主要な役割を果たすというダーウィンの理論の、誤ったとは言えないまでも縮小したイメージを伝えている。
リンレイ・サンボーンは、CAOSから螺旋状に上昇し、最後はシリンダーを持った英国紳士で終わる「ワイルドな進化系ポロネーズ」を描いた。
ミミズ、サル、穴居人と進化していく過程が描かれている。背景には時計が表示され、進化の道筋が「times meter」と表示されていることから、進化が時間経過で描かれていることがわかる。
ダーウィンは、この紳士に寄り添い、その成り行きを見守っているかのようである。ダーウィンの似顔絵は、システィーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画の人物の一人に似ている。
こうした円形の進化のイメージは、ダーウィン自身の直線的で枝分かれした進化の木と著しい対照をなすものである。
『種の起源』においてダーウィンは「進化が進歩的でも循環的でもないことを強調するために苦心した」と書いている。