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【作品解説】アンリ・マティス「青い裸体(ビスクラへの想い)」

青い裸体(ビスクラへの想い)/Blue Nude (Souvenir de Biskra)

アフリカ彫刻へのオマージュ


概要


作者 アンリ・マティス
制作年 1907年
サイズ 92.1 cm × 140.3 cm (36.3 in × 55.2 in)
メディウム キャンバスに油彩
所蔵先 ボルチモア美術館
スタイル フォーヴィスム

アンリ・マティスの1907年初期の油彩画『青い裸婦(ビスクラの土産)』は、ボルチモア美術館のコーン・コレクションに収蔵されている。

 

マティスがこのヌード絵画を描いたのは、制作中の彫刻が粉々になったときだった。その後、この彫刻は完成し、《横たわる裸婦I(オーロール)》と題され、彫刻を修復する前に、マティスはヤシの木を背景にした女性を青色で描いた絵画を制作した。

 

女性の身体は固く角張っている。これは、セザンヌとマティスがアルジェリアで見たアフリカ彫刻へのオマージュとなっている。また、パリのサロンで見られるヌード絵画に対する意図的な反発でもある。この作品は、レオとガートルード・スタインが購入した最後のマティスの絵画となった。

 

マティスは1907年のソシエテ・デ・アーティスト・インデペンダントで『青い裸婦』(Souvenir de Biskra)を発表し、フランスの大衆に衝撃を与えた。『青い裸婦』は、後に1913年にニューヨークで開催されたアーモリーショーで世界的なセンセーションを巻き起こすことになる絵画のひとつとなった。

 

1913年、ニューヨークから巡回したシカゴのアーモリーショーで火災にあうなど、フォーヴィスム(野獣派)に分類されるこの絵画は、物議を醸した。1907年、この絵はジョルジュ・ブラックとパブロ・ピカソに強い影響を与え、ピカソが『アヴィニョンの娘』を制作する動機になりもした。

アンリ・マティス『横たわる裸婦I(オーロール)』(1906-1907年)
アンリ・マティス『横たわる裸婦I(オーロール)』(1906-1907年)

■参考文献

https://en.wikipedia.org/wiki/Blue_Nude_(Souvenir_de_Biskra)、2023年4月4日アクセス