ジョゼフ・コーネル / Joseph Cornell
箱の中の夢のようなアッサンブラージュ作品
概要
生年月日 | 1903年12月24日 |
死没月日 | 1972年12月29日 |
国籍 | アメリカ |
表現形式 | アッサンブラージュ、映像 |
ムーブメント | シュルレアリスム |
関連人物 | 草間彌生、マルセル・デュシャン |
ジョゼフ・コーネル(1903年12月24日-1972年12月29日)はアメリカの美術家、映画製作者。
前面ガラスの箱「シャドーボックス」を使ったアッサンブラージュ作品が代表的だが、ほかにロシア構成主義やシュルレアリスムから影響を受けた前衛実験映像作品でもよく知られている。
コーネルの芸術的努力の大半は独学である。ニューヨークの中古道具店で購入した古道具をや雑誌の切り抜きなどを即興的に組み合わせるという独自の芸術スタイルで、夢のようなボックス作品を制作する。
コーネルがアッサンブラージュに好んで利用する素材は、ヴィクトリア風の古い骨董、ビンテージ写真、低級の子ども玩具、アクセサリーなどである。コーネルのシャドーボックス作品は、のちにインスタレーション作家や前衛芸術グループ・フルクサスに影響を与えた。
生涯の大半を身体の不自由な弟や両親を自宅で介護しながら社会的に孤立した状態で過ごしていたが、同時代の現代美術家たちを意識し、また彼らと連絡も取っていた。
シュルレアリスム運動から大きな影響を受けるが、彼自身がシュルレアリスム運動に参加することはなく、シュルレアリスムとレッテルを貼られることも嫌っていた。
略歴
幼少期
ジョセル・コーネルは、ニューヨーク州ナイアックで、繊維業界の重役であったジョセフ・コーネルと、保育師になる訓練を受けていたヘレン・テン・ブルック・ストームス・コーネルの間に生まれた。両親はともに、ニューヨーク州で古くから続くオランダ系の社会的な著名の家系の出身だった。
コーネルの父親が1917年4月30日に死去すると、一家は窮地に立たされた。父親の死後、母と子どもたちはニューヨーク州のクイーンズ区に映る。コーネルは1921年にマサチューセッツ州アンドーバーにあるフィリップス大学に通うが卒業せず、家族のもとに戻った。フ
ィリップス大学で過ごした3年半を除いて、その後、コーネルは生涯のほとんどを、フラッシングの労働者階級が住むユートピア・パークウェイの小さな木造の家で、母親と脳性麻痺で身体が不自由になった弟のロバートとともに暮らした。また、大学にいた時期を除いて、ニューヨーク市近郊まで出たことも一度もない。
作品
コーネルの最も特徴的な作品は、収集品で構成された箱入りのアッサンブラージュである。これらの作品はシンプルなシャドーボックスで、通常、前面にはガラスの窓がはめ込まれている。
箱の内部には、ロシア構成主義の精緻さとシュルレアリスムの幻想性を融合させた表現が施されており、写真やビクトリア時代の小物が巧みに配置されている。
クルト・シュヴィッタースのように、コーネルもありふれたものから作品を生み出す才能を持っていた。しかし、シュヴィッタースやヘンリー・ダーガーとは異なり、コーネルはゴミや廃棄物ではなく、ニューヨークの書店やアンティークショップを頻繁に訪れ、かつて美しく貴重であった骨董品に心を奪われた。コーネルの作品は、シュルレアリスムの非合理的な表現とノスタルジーの美しさが魅力である。
コーネルの興味を反映した代表作には、『シャボン玉セット』、『メディチ家のスロットマシーン』シリーズ、『ピンクパレス』シリーズ、『ホテル』シリーズ、『天文台』シリーズ、『宇宙物体ボックス』などがある。
さらに、鳥に魅了されたコーネルは、様々な鳥のカラフルなイメージを木に貼り付け、切り抜いて厳格な白の背景に配置した「Aviary」という箱のシリーズも制作した。
コーネルは非常に読書家で、1940年代から1960年代にかけてのニューヨークのアートシーンに精通していたが、美術の正式な訓練を受けたことはなかった。
箱や平面のコラージュ、短編映画の制作に加え、コーネルは自分の興味のあるテーマに関する160以上のビジュアル・ドキュメンタリーの「書類」をファイリングしていた。コーネルは、ローレン・バコールの「ペニー・アーケード」の肖像画のような箱の材料やインスピレーションを得るための資料庫として、この書類を利用した