石田徹也 / Tetsuya Ishida
「失われた世代」の闇を超現実主義的に表現
概要
生年月日 | 1973年6月16日 |
死没月日 | 2005年5月23日 |
出身地 | 静岡県焼津市 |
国籍 | 日本 |
公式サイト | http://www.tetsuyaishida.jp/ |
石田徹也(1973年4月16日-2005年5月23日)は、日本の画家。日本の日常生活とセルフポートレイトをシュルレアリスティックに描く作風で知られている。2005年5月23日に東京・町田の踏切で人身事故に遭い、31歳という若さで亡くなった。
美術専門家によれば「石田ほど、最も的確に誰よりも早く日本の「就職氷河期世代」「ロスト・ジェネレーション」を表現している画家はいないだろう」「失われた画家」などとと批評されている。
石田徹也は静岡県焼津で生まれた。4人兄弟の末っ子で、父は元焼津市議会議員。母は専業主婦である。1992年に静岡県立焼津中央高等学校を卒業する。
この時期に両親や教師は石田の将来に対して、教師もしくは科学者になることを望み、普通大学への進学を強く勧めるが、石田は美術が好きだったので親の進路に反発し、武蔵野美術大学視覚デザイン学科へ進学する。
親や大人からの圧力は、のちに、管理された日本の社会の風景など彼の作品に色濃く現れることになります。
1996年に大学を卒業。石田のキャリアに対して不満を抱いていた両親は、大学時代、または卒業後の石田の芸術に関する経済支援を断ったとされてるが、両親は仕送りを申し出ていたという。「良い絵が描けなくなる」という理由で、石田が一方的に経済支援を拒否していたという。
ただ、高い絵具を買うために深夜アルバイトをして、切り詰めた生活をしながら作品の制作をしていたのは事実である。
大学時代の友人に映画監督の平林勇がおり、共同で作品を制作していたことがある。就職活動中に一社だけデザイン会社に面接にいったが、採用されず、結局、画家として活動することに専念する。
1997年から2005年まで、石田の作品は発展し続け、22歳で「3.3㎡展」のグラフィックアート部門でグランプリを受賞したのを皮切りに頭角を現し、VOCA展奨励やいくつかの賞を受賞するなど、フルタイムの画家としての活動が期待されはじめていた矢先に亡くなった。
オークション価格
作品名 | 《無題》(1999年) |
メディウム | アクリル、金属加工部品、絵付け前の高崎だるま(張子紙、漆喰、木) |
サイズ | 33.6×23.0×23.0cm |
売買日 | 2023年3月11日・SBIオークション |
価格 |
23,000,000円 169,043 米ドル |
作品名 | 《ベルトコンベヤーの男たち》(1996年) |
メディウム | パネルにアクリル |
サイズ | 103.2×145.7cm |
売買日 | 2022年7月8日・サザビーズ香港 |
価格 |
8,064,000 香港ドル 1,027,571 米ドル 137,812,684円(2023年2月換算) |
作品名 | 《無題》(2001年) |
メディウム | キャンバスに油彩 |
サイズ | 112×162.3cm |
売買日 |
2021年12月1日 クリスティーズ20世紀/21世紀美術イブニングセール |
価格 |
6,250,000香港ドル 802,073米ドル 107,570,020円(2023年2月換算) |
SBIオークション、Artsy、Artpriceなど複数のサイトやニュースレターより
芸術表現
ロスト・ジェネレーション
石田作品は大きく3つのテーマに焦点が置かれている。
- 今日の世界における日本のアイデンティティと役割
- 日本社会や大学教育の構造
- 現代日本社会における社会や技術の急激な変化に適応するのにもがく日本人
石田の作品は、孤立、不安、アイデンティティ危機、懐疑、閉所恐怖症、孤独などの要素が詰まっている。
画面の主人公たちは皆、背広とネクタイに身をかためた新入社員のようだが、表情には夢や希望は感じられない。漠然としたモラトリアム期の不安が絵から漂っている。かなり子どもっぽく見える青年で、大人に適応しようとしているのか、不釣り合いな口髭を生やし、アルコールを摂取する絵もある。
絵に出てくる青年は、作者自身を投影されたものだとされており(本人は否定しています)、青年の周りには、洗面器、おもちゃ、ゲーム、リュックサック、SL、ぬいぐるみなど「日常生活」や「子ども」に関するモチーフが多く散乱している。
石田は自身を通じて、日常生活に潜む不安、希望なき日本社会への不安、孤独など現在の日本が抱えている社会問題を表現していたとう。
シュルレアリスム
多摩美術大学教授の秋山孝氏によれば、石田徹也の表現は、シュルレアリスムのなかでも特にダリの影響を受けているという。
洗面器が自分自身に置きかえられる表現がよく見られますが、こうしたある物体がある物体に変容して見えるように描く描き方は、ダリが発明した偏執狂的批判的方法からヒントを得ているといえる。
偏執狂的批判的方法とはダブル・イメージといわれるもので、「あるもの」が「あるもの」に見えるというものである。石田は洗面器や扇風機を自分に置き換えたり、面接試験官を顕微鏡に置き換えてたりしている。
セルフポートレイト
1997年JACA日本ビジュアルアート展で石田徹也はグランプリに輝いた。当時の審査員は浅葉克己、藤井三雄、建畠哲、タナカノリユキ、日比野克彦の5名。当時の講評の様子は以下のとおり。
司会:さて、最後の作品は石田徹也さんで「健康器具」というタイトルです。
タナカ:ポートフォリオにいいのがいっぱいありましたね。
浅葉:毎日これを30年ぐらい続けると凄いことになるという感じがしますね。
司会:同じ1人が主人公。作家自身なんでしょうか。
浅葉:自分自身でしょう。自画像ですよ。似ていますね。こういう作家は日本には珍しい。
タナカ:独特な、未来のようにも感じるし、昭和初期的みたいなノスタルジーもあります。
日比野:なんか旧共産圏の社会的な冷たさもありますね。
藤井:だから、精神的な抑圧とか、あるいは人間の業みたいなこととか、政治的な1つの抑圧みたいなものを感じますね。それでいて童話的な親しみがあるなかに不気味なものがある。
浅葉:普通の日常に潜む怖さですね。
1990年代の日本美術といえば、まだまだ抽象絵画全盛で、セルフポートレイトの絵画作品を描く作家は少なかったように思える。