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【作品解説】マン・レイ「破壊されるオブジェクト」

破壊されるオブジェクト / Object to Be Destroyed

タイトル通り破壊されてしまう作品


マン・レイ「破壊されるオブジェクト」(1964年)。1923年オリジナル版のレプリカ。
マン・レイ「破壊されるオブジェクト」(1964年)。1923年オリジナル版のレプリカ。

概要


作者 マン・レイ
制作年

1923年(オリジナル版)、1957年消失

1933年(セカンド版)、1940年消失

メディウム

木製メトロノーム、紙に白黒の切り抜き写真

サイズ

215 × 110 × 115 mm

所蔵先

テート、ニューヨーク近代美術館

『破壊されるオブジェクト(Object to Be Destroyed)』は、1923年にマン・レイによって制作されたオブジェクト。メトロノームに目の写真が取り付けてある。

 

1957年の展覧会では、一人の見物人がこの作品を故意に破壊する事件が起きる。数年後に複数のコピー作品が作られ、『不滅のオブジェ( Indestructible Object)』という名称に変更されている。

 

そのシュールな雰囲気とは裏腹に、シュルレアリスムが登場する前に作られた作品である。既成物に最小限の手を加えたマルセル・デュシャンの「レディ・メイド」を踏襲して作られた。

 

この作品は、カリテ・エクセルシオールのメトロノームと、女性の瞳を撮影したモノクロ写真という2つの側面から構成されている。カリテ・エクセルシオのメトロノームは、この時代、多くの住宅で見られ、広く普及していた。

 

マン・レイが利用したメトロノームは損傷しており、一部のパーツが欠落している。おそらく中古品を購入して制作したものだと思われる。箱は木製だが、内部は鉄製となっている。前面にあった扉は取り外されている。

 

1923年のオリジナル版は、マン・レイによると、スタジオで彼が絵を描くのを黙ってみていることを意図したものだという。

 

「私は自分の部屋にメトロノームを置いていて、絵を描くときに、ピアニストが演奏を始めるときにそれを鳴らすように、そのメトロノームの音が私の筆致の頻度と数を調節していたのです。画家には観客が必要です。そこで、メトロノームのスイングアームに目の写真をはさみ、私が絵を描いている間、見られているような錯覚を起こさせるようにしました。」

 

セカンドバージョン


マン・レイのドローイングによる『破壊のオブジェ』
マン・レイのドローイングによる『破壊のオブジェ』

マン・レイの恋人リー・ミラーが彼のもとを去った翌年の1933年、マン・レイはセカンド・バージョン『破壊のオブジェ(Object of Destruction)』を制作している。

 

セカンド・バージョンは目の写真がリー・ミラーの目の写真に入れ替えられている

 

その後、アンドレ・ブルトンが編集する前衛雑誌『This Quarter』に新バージョンのドローイングを発表し、次のような説明文が掲載された。

 

愛してやまない人の写真から目を切り取る。メトロノームの振り子に眼球を取り付け、好みのテンポになるように重さを調節する。我慢の限界まで続ける。狙いを定めたハンマーで、一撃で全体を破壊してみる。」

 

このリメイク作品は、1933年に『目-メトロノーム』というタイトルで、パリのピエール画廊で初めて展示された。

 

 

しかし、1940年、ドイツ軍のパリ侵攻により、セカンドバージョンは消失する。

 

1945年に『失われたオブジェ』としてレプリカが展示された。マン・レイは、いつか破壊するつもりだったが、パブリック・パフォーマンスとして破壊するつもりだったと述べている。

オリジナル・バージョンの破壊事件


1957年にパリで開催された「ダダ展」に出品された際、フランスの詩人ジャン=ピエール・ロスネが率いる「ジャリヴィスト」と名乗る学生グループが抗議し、マン・レイの言葉を鵜呑みにして実際に作品が破壊された。

 

展覧会が始まって1週間も経たないうちに、20年代の興奮のようなものが噴き出した。ジャリビストと名乗る若い自称「反動的ニヒリスト知識人」の一団がギャラリーに乱暴にビラを投げ入れたのである。

 

「われわれジャリヴィストは、ダダイスト、シュルレアリスト、そしてその仲間たちに、マイナスの支配は終わったと忠告する......。ポエム万歳!"

 

そして、『破壊されるオブジェクト』を手に、彼らは去っていった。マン・レイは、泣きながら彼らを追いかけた。ギャラリーからそれほど遠くないところで、ジャリヴィストたちは立ち止まり、片目のメトロノームを置き、そのうちの一人がピストルを取り出し、狙いを定めて発砲し、破壊してしまった。その時、遅ればせながら警察が現れた。

 

ジャリヴィストは「シュルレアリスムではなく、確かなリアリスト」であり、運動ではなく「運動そのもの、永遠の運動」であると、あっさり宣言した。

 

ダダに対する彼らの反論に、マン・レイは疲れたように言った。「これらのことは40年前に行われたことだ。あなた方は歴史に対してデモをしているのだ」。

 

しかし、展覧会に押し寄せた観客を前に、ダダの大御所トリスタン・ツァラは大喜びした。「素晴らしいじゃないか」と懐かしそうにつぶやいた。

 

1958年、マン・レイは『不滅のオブジェクト』という新たな名で、このオブジェを作り直した。1965年、スイス人アーティスト、ダニエル・スポエリとのコラボレーションにより、『不滅のオブジェクト』が100個制作されましたが、これはオリジナルのアイデアの不滅性と、100個すべてを破壊することの困難さを暗示している。

 

また、この作品は1966年に『最後のオブジェクト』として展示された。

 

マン・レイは1970年に40個のエディション版を制作し、メトロノームの振り子が揺れるたびに瞬きする二重印刷の目の絵がつけられた。



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