ガブリエル・オロスコ / Gabriel Orozco
日常風景を芸術に変える現代美術家
概要
生年月日 | 1962年4月27日 |
国籍 | メキシコ |
表現媒体 | 絵画、写真、彫刻、インスタレーション、レディ・メイド |
ガブリエル・オロスコ(1962年4月27日生まれ)は、メキシコ人画家。メキシコのベラクルス州ハラパ生まれで、1981年から1984年までメキシコ国立美術大学で学び、1986年から1987年までマドリードのシルクロ·デ·アルテスで学ぶ。
1990年代初頭からドローイング、写真、彫刻、インスターレションなどの表現で次第に評価を高める。路上に打ち捨てられた物や何気ない風景の中に美術を発見する「ファウンド・オブジェ」手法や、それらにほんの少し手をくわえて形を変えたりする「修正レディ・メイド」などの表現を得意とし、日常的な環境とアートオブジェの境界性をあいまいにする。
1998年にキュレーターのフランチェスコ·ボナミはオロスコを「この数十年で最も影響力のあるアーティストの一人で、たぶんこれから数十年も影響力を持つだろう」と評価。
オロスコは現在、ニューヨークのマリアン・グッドマンギャラリー、パリのギャラリー・シャンタル・クローゼル、メキシコシティのギャラリー・クリーマンズートと契約を交わし、作品を展示・販売している。
これまでの重要な個展は、2009年12月のニューヨーク近代美術館から始まり、スイスのバーゼル市立美術館、パリのポンピドーセンターとまわり、2011年5月にロンドンのテート・モダンで終了した中期作品の巡遊回顧展。最近の重要な個展では、ベルリンのドイツ・グッゲンハイム美術館(2012年)、ニューヨーク・グッゲンハイム美術館(2012年)で開催された「Asterisms」である。日本では2015年1月に東京都現代美術館で個展が開催されている。
世界旅行が趣味で、オロスコと妻のマリア・グティエレスと、彼らの息子シモンは、パリとニューヨークとメキシコを行き来しながら暮らしている。
展覧会
略歴
オロスコは、1962年4月27日、母のクリスティーナ・フェリックス・ロマンディアと壁画家でベラクルス州立大学の教授である父のマリオ・オロスコ・リベラの間に生まれた。オロスコは幼少の頃から美術に触れる。
6歳のときに父が知り合いの芸術家のダビッド・アルファロ・シケイロスを手伝うことになったため、一家はメキシコ近くのサンアンヘルに引っ越しする。オロスコは、父に美術館の展示によく連れて行かれたり、芸術の会話をする父と父の友人を通じて芸術に関心を抱くようになる。
1981年から1984年までオロスコはメキシコ国立美術大学で学ぶが、保守的な芸術教育に不満だったため、1986年にマドリードのマドリード総合芸術センターへ移る。そこでオロスコは、講師たちから伝統的な美術様式にとらわれない戦後前衛芸術家たちの自由な表現を学ぶことになる。
オロスコはスペイン時代についてこう話している。
「重要なのは別の文化に深く接すること。また自分は相手にとって同郷人ではなく「よそ者」であると感じること。それは「移民」の感覚だと私は思っている。私はスペインにいるとき移民として強制的に退去させられ、ラテンアメリカ出自の自分とのあいだで悩んでいた。
私は非常に進歩的な環境で育ち、そのためスペインを旅行することにしたが、実際のスペインは非常に保守的な社会で、1980年代には前衛芸術がスペインで流行していたにもかかわらず、私は「移民」として扱われショックを受けた。そのときの悲しみの感覚は作品を発展される上で本当に重要だった。私の作品の多くは「傷み」のようなものを表現しているが、それはあなたを勇気づけるだろう。」
1987年にオロスコはマドリードからメキシコシティへ戻り、そこでダミアン・オルテガや、ガブリエル・キュリー、アブラハム・クルズヴィエイガス、Dr.ラクラら同世代の芸術家が集まっているメキシコ現代美術グループと週に一度は会合した。このときのアーティストたちの家は、多くの芸術や文化イベントを開催するためのスペースとなっていた。
オロスコのノマドのような生活は、この時期の作品に強く影響するようになり、街の探索を通じて多くのインスピレーションを得る。
オロスコの初期作品は、巨大なスタジオで多くのアシスタントを雇い、アートの生産と流通の細かな管理をしていたウォーホル的な1980年代のアート手法から脱却することを目的としていた。集団的アートとは対照的に、オロスコはいつも一人で作品制作をするか、アシスタントがいても一人か二人だった。
またオロスコ作品の特徴は、世界中で何度も繰り返されているテーマやテクニックを、実生活や普遍的なオブジェに組み込んで表現することだった。
作品
ゲームを再構築するというオロスコの連作の1つであるこの彫刻は一見ただのチェスボード、マルセル・デュシャンの伝統につながる単純で日常的な既成品に見える。だが近づいてよく見ると普通のゲームを転倒させるロジックが露わになる。
オロスコのチェスボードは通常の二色の代わりに四色で作られ、伝統的な8×8(インチ)の板は256個の枠のある16×16(インチ)に作りなおされている。また、通常の32個の駒(キング、クイーン、ルーク、ビショップ、ナイト、ポーン)の代わりにオロスコはすべてナイトの駒を使っている。このゲームではナイトは無制限に走り回り、無限にボード上を他の駒に邪魔されることなくどちらにでも向かうことができる。
オロスコは合理に従ったルールで縛られたゲームのロジックを変えることによって空間と運動を再構築する。彼は詩的な感受性で錯覚を作り上げる。それは果てしのない想像上の空間の軌跡であり、人を惹きつけてやまぬ終わりのない時間というヴィジョンでもある。
彫刻、インスターレション、写真、絵画、ドローイングにおよぶオロスコの多岐にわたる作品に繰り返し現れるのは、この知覚の発見というテーマである。