マイク・ケリー / Mike Kelley
過去四半世紀におけるアメリカ文化の代弁者
概要
生年月日 | 1954年10月27日 |
死没月日 | 2012年1月31日 |
国籍 | アメリカ |
表現媒体 | レディ・メイド、パフォーマンス、インスタレーション |
公式サイト | http://mikekelley.com/ |
マイク・ケリー(1954年10月27日-2012年1月31日)は、アメリカの美術家。
作品はレディ・メイド、テキスタイル・バナー、ドローイング、アッサンブラージュ、コラージュ、パフォーマンス、ビデオなど多岐にわたり、ポール・マッカーシー、トニー・アウスラー、ジョン・ミラーらと企画したコラボレーション作品などでも知られる。
「ニューヨーク・タイムズ」によると、「過去四半世紀で最もアメリカ美術に影響を与えた1人であり、アメリカにおける大衆文化と若者文化の代弁者」であるという。日本では、87年、97
略歴
幼少期
マイク・ケリーは、1954年10月、デトロイトの郊外にあるミシガン州ウェイン郡でローマ・カトリック系の労働者階級の家庭で生まれた。父は公立学校の用務員、母はフォード自動車会社の幹部社員食堂のコックだった。
少年期にケリーは、イギー&ストゥージズなど同地のデトロイト音楽に熱中し、またノイズバンド「デストロイ・オール・モンスターズ」の一員としても活動した。1976年にケリーはミシガン大学を卒業し、ロサンゼルスに移住する。
1978年にカリフォルニア芸術大学で美術学修士号を取得する。ジョン・バルデッサリ、ローリー・アンダーソン、デビッド・アスクボルド、ダグラス・ヒューブラーといった教師から称賛された。
1980年代
カリフォルニア美術大学滞在時、ケリーは「崇高」「猿の島」「プラトンの洞窟」「ロスコのチャペル」「リンカーンのプロフィール」といった詩的感覚のあるシリーズ作品を制作し始め、それらはドローイング、ペインティング、彫刻、パフォーマンス、ビデオ、文章などさまざまな異なったメディアを通じて表現。
1980年代入ってからは、編み人形、布人形、中古家具店やフリーマーケットなどで売られるぬいぐるみや玩具など、さらに利用する材料に幅を広げて制作しはじめ、そのことでケリーは注目を集めるようになりはじめた。
おそらく最も有名なケリーの作品といえば、1987年から制作が始まった「 More Love Hours Than Can Ever Be Repaid and The Wages of Sin(返済できないほどの愛の時間)」である。それはキャンバスいっぱいに大量の自作の動物のぬいぐるみやアフガン織りの布がコラージュされた作品で、直感的本能に従って描き出す架空の子どもの世界を表現したものだ。1988年にロサンゼルスのロザモンド・フェルゼン・ギャラリーで初めて公開された。
意識、あるいは高尚芸術の外部へと無意識に追いやられていたこれらキッチュで幼児的な素材や感覚、思春期特有の暗い感覚を呼び覚ますマイク・ケリーの表現は、家父長制の社会秩序や文化体系に対する抵抗で、20世紀初頭のシュルレアリスムに共通しているといわれている。サブカルチャー、神話や哲学、記憶の共有や抑制、アメリカ中西部の労働者たちのメンタリティとその凡庸さなど、彼の関心の対象はきわめて広範囲にわたり、それらは作品に反映されてきた。
1988年に、ケリーは「喜びのための代償(Pay for Your Pleasure)」というインスタレーションを制作、それは、詩人、哲学者、芸術家の偉人のポートレイト作品が並べられたもので、並びの最後には有罪判決を受けた犯罪者によって絵が書かれた絵がかけられた。
1990年代
ケリーは、よく柔らかくて、表現主義的手法で柔らかくてもつれた玩具を利用する。
「衛星を持つ無臭な中心(Deodorized Central Mass with Satellites)」 (1991–99)は、天井から吊り下げられただらしのないぬいぐるみの塊で構成されたインスタレーション作品。
中央の大きな塊と12体の衛星の球体が、互いに天井に敷かれたケーブルや滑車によって関連して動作するシステムになっており、中央にある虹色の塊を中心に軌道を描く内容である。また壁に設置された10個の幾何学的で多面的なさまざまな記念碑的なオブジェは、自動的に定期的な感覚で部屋の中に松の香りがする空気清浄スプレーを噴射するしくみになっている。
1995年には「Educational Complex(教育施設)」を制作。それは彼が通っていたカトリックの小学校やアナーバーにあるミシガン大学学校の建築モデル作品だった。1999年にケリーはシルヴィア・プラスの小説「ベル・ジャー」から着想を得たスーパーマンのショートフィルムを制作した。
ケリーは、1977年にカリフォルニア美術大学時代に友達であるジョン・ミラーやトニー・アウスラーとバンド「Poetics」を結成し、6年間活動している。1997年から98年に、ケリーとアウスラーは、ドクメンタ10で、当時の二人の音楽体験「the Poetics Project」を発表。またロサンゼルス、ニューヨーク、東京(ワタリウム美術館)でも、映像や音やアートワークを通じてインスタレーション形式で何度も再演された。
ショーやアウスラーとのコラボーレションだけでなく、ケリーは1990年代にポール・マッカーシーともコラボレーションを行う。二人は1992年にヨハンナ・スピリの児童文学「ハイジ」を下敷きにした作品などを含め、さまざまなビデオプロジェクトシリーズで共同制作を行った。
また、ロック・バンドソニック・ユースの1992年のアルバム『ダーティ』のジャケットは、彼の作品を全面的にフィーチャーしたものとなっている。
93年にはホイットニー美術館で回顧展を開催し、アメリカを代表するアーティストになった。
2000年代
2005年11月に、ケリーは「日のおわり(Day is Done)」をガゴシアン・ギャラリーで開催。自動化された家具付きの一軒家サイズの巨大インスターレション作品。感謝祭やクリスマスといった季節の行事に合わせて高校生が演じる寸劇や、文化祭やプロムなどの本や卒業写真、映像で構成された。
1999年から始まった「カンドール・プロジェクト」は、スーパーマンの故郷の惑星クリプトンにある町カンドールを扱ったものである。これらの物語におけるKandorの描写は、矛盾しており、一貫性がなく、支離滅裂であり、ケリーはそれを複数のバージョンを制作。カラフルな樹脂で作られて、聖遺物箱が照らされたような作品だった。
晩年
2009年にケリーは友人で仲間のアーティストのマイケル・スミスと「A Voyage of Growth and
Discovery」でコラボーレション。6チャンネル映像とインスタレーションの構成で、この作品には2007年にエミ・フォンタナがキュレーションを行い、ケリー自身がプロデュースしたウエスト・オブ・ローマ公共美術で展示されたものも含まれる。その作品は最初、2009年にニューヨークの彫刻センターで展示され、2010年にウエスト・オブ・ローマ公共美術で、次いで2011年にバルチック現代美術センターで展示された。
最後のパフォーマンス映像は、2011年の「Vice Anglais」だった。
ケリーの作品は哲学、政治、歴史、アンダーグラウンドコミック、装飾美術、ワーキングクラスの美術表現などさまざまなものから影響されて制作されている。ケリーの作品はよく、正常性、犯罪性、悪用性といった問題と同じくらい、クラスやジェンダーに関する問題に言及している。
2012年1月31日にケリーは、南パサデナの自宅のアパートで自殺しているのが発見された。ロサンゼルスのハイランドパークにあるスタジオ近くの空地にケリーの追悼碑が建てられた。
匿名のフェイスブックページ「help rebuild MORE LOVE HOURS THAN CAN EVER BE REPAID AND THE WAGES OF SIN (1987), by contributing stuffed fabric toys, afghans, dried corn, wax candles…building an altar of unabashed sentimentality.」経由で多くの哀悼者が訪れた。
追悼碑は2012年3月に解体され、追悼碑に捧げられたものはマイク・ケイリー財団に寄贈された。
コレクション
ケリーの作品は、ニューヨークのMoMAやグッゲンハイム美術館といった有名美術館やプライベートコレクションに所蔵されている。ほかには、ロサンゼルス現代美術館、ロンドンのテート・ギャラリー、ハンブルグのファルケンベルク・コレクション、ミュンヘンのブランドホルスト博物館などが所蔵している。
ドイツのアートブック出版社のTaschenやロサンゼルスのサラリーマンKourosh Larizadehは、ケリーの主要なコレクターである。
2001年にはケリー自身がロサンゼルス現代美術館に仲間のアーティストであるウィリアム・レビット、フランス・ウェスト、ジム・イザーマンの作品3点を寄贈した。
取扱画廊
ケリーは、1980年代初頭から2005年まで、ニューヨークのメトロ・ピクチャーズ・ギャラリーで展示活動をしていた。2005年にガゴシアン・ギャラリーで初めて個展を行い、以後ガゴシアン・ギャラリーがケリーの代理店となり、ケリーはガゴシアンで何度か個展を行った。サンタモニカにあるパトリック・ペインターは、1995年以来、西海岸におけるケリーのプライマリー・ギャラリーである。